ベトナムでやり残している4つのことの1つ目は、地元のスーパーマーケットに行くことである。
どの旅でも、地元のスーパー(商店)に足を運ぶようにしている。 沖縄では、JAで、どっさり、野菜などをいつも買って帰るし、 タイでは、ふじスーパーで、トムヤムクンの固形出汁と、虫除けスプレーを大量購入し、インドでは、スパイスを購入した。 地元のスーパーには、空港やお土産やさんには売っていない掘り出し物が沢山あるのだ! ハノイのスーパーは、入口で、荷物を預けなければいけないシステム。 盗難防止なのかしら。 荷物を預けたほうが犯罪がおきそうな気がしたのは、信用していないからでしょうか・・・ さっそく、探検。 相変わらず楽しいスーパー。 生春巻きの皮って、10枚単位とかで売ってるのが日本では普通なのに、ベトナムでは、あれは100枚単位だな。 どんだけ、春巻き食べるのよー!!! あと、フォーの乾麺。 これも、いろんな種類があって面白かった。 日本のうどんみたいな感覚なんだろうなあ。 外国のスーパーで気がつく日本の名産にも注目です。 ベトナムでも、お醤油とおせんべいを発見。 堂々と胸を張って、仁王立ちしていたキッコーマン醤油を私は誇りに思うよ! 私たちは、ベトナムコーヒーと塩を購入し、外へ出た。 さて、やり残していることのその2。 それは、バインミー。 知らない人は、何ですか?それ。という感じだろうが。 ベトナムといったら、これを食べなきゃ!と言っても過言ではない! ベトナムはフランスの領地だったこともあり、フランスパンが街のあちこちで売られている。 そのフランスパンに香菜やらピクルスやら、パテを挟み、ニョクマムがふりかけてあるのがバインミー。 旧市街の、なんてことのない道の片隅にて露店を出してたお兄ちゃんのバインミーをサクッと購入したのに、これがまた美味しい!!! これ、お店によって全然違うんだろーなー。 ピクルスひとつにとっても、バラエティーにとんでいるはず。 帰国してから、江古田のパン屋さんでバインミーが売ってて嬉しくて買って食べたけれど、全然違った。 食材もベトナムのより絶対良いもので、具材の量も多かったのに、あのときの貧相なバインミーの方が断然美味しかった。 旅先で食べる食事って、やっぱり不思議。 やり残しているその3は、ビアホイ! ビアホイは、一言で言うと地ビール。 居酒屋独自でタンクで作っているどぶろくみたいなもので、アルコール度数も低いので、酒税が安く、一杯も安い。 ペットボトルで出してくるお店が多いと聞いていた。 お昼も過ぎたところ。 ビアホイは朝から飲めると聞いていたから旧市街を歩いて歩いて探していたのだけれど、全然見つからない。 バックパックは背負っているし、美味しくビアホイを飲みたいがために、喉もカラカラ。 欲が体中からで過ぎているときほど、探しているものはなかなか見つからないものである。 一度、宿に荷物を置きに帰ることにした。 ヘトヘトと宿へ歩いていると、道に椅子とテーブルを並べてビールを呑んでいるおっちゃん達の風景をゲット!!! たまちゃんが、ここで呑んでいいっすか?と・・・ もちろん! 念願のビアホイに辿り着いたわけです。 薄い。日本で売っているどのビールよりも薄い。 けれど、喉が乾き過ぎていた私たちにとって、それはオアシスの水のようだった。 そして、頼んでもいないのに出てきたおつまみも、なんともベトナムらしいものだった。 ネム・チュアというベトナムで有名なビールのお友。 豚肉を発酵させてハーブや香辛料を一緒にサランラップで包みこんで葉っぱにくるんだ酸っぱいソーセージ。 これが10本単位で出てきた。 ビールを浴びるように呑んでいると、売り子の方達が営業してくる。 ベトナム語の新聞とか読めるはずもないのに。 道で呑んでいるから埃が半端なくて、マスクをしながらビールを呑んでいる姿もまたベトナムらしい風景。 ベロベロになった私たちは、再びバックパックを背負い宿へ。 宿へ着くなり、爆睡・・・ まだ午後3時台。 昼寝ができれば、これぞいつもの旅だ! 昼ビールと昼寝は、私たちの旅の重要な工程でもある。 夜7時過ぎに、ベトナムでの最後の夕飯へ街へ繰り出した。 迷うこともなく、2日前に行ったところと同じところへ。 このリピーター行動も私たちの旅の癖である。 気にいると何度でもゆく。 バカの一つ覚え式。 相変わらず美味しい夕飯を済ませて、宿へ帰って、お手紙を書いた。 やり残している最後の1つは、そう、街の郵便局でハガキを出すこと。 いつも、割りと旅の中盤でハガキは出せているのに、今回は、観光地に行かなかったがためになかなか絵葉書に出会えず、やっと、今日になって、ハロン湾で見つけたのだ。 最終日の朝、起きて、いつものフォー屋さんで透き通るフォーを食べて、中央郵便局へ。 ベトナムの郵便局は、朝7時台からやっている。 AIRMAIL TO JAPAN 切手10,500ベトナムドン×8枚を購入し、真ん中の大きなテーブルでハガキに貼って、窓口のポストにいれた。 これで、ベトナムで全てのミッションが果たされた。 タクシーで空港へ向かう。 ギネスにも認定されている世界一長い壁画を辿りながらベトナムの街を走り抜ける。 タクシーの運ちゃんが、ラジオから聞こえてくるベトナム歌謡曲に合わせて、熱唱している。 目から見える風景も、耳から入ってくる音楽も 私のベトナム旅の終わりを演出してくれている。 途中、運ちゃんが売店へ寄って 飲み物を買って私たちに差し出した。 こんな図らいまでしてくれるベトナム人。 旅は、そこにいつも在るものではなく、旅する自分自身で作りあげるもの。 同じ時期に同じ場所に行ったからといって同じ経験ができるわけでもない。 そこが旅の面白いところだといつも思っている。 トランジットは、行きと同じくシンガポール。 シンガポールに一泊して、日本に帰る。 シンガポールでは、B&Bに予約をしていた。 エントランスに入った瞬間、宿の雰囲気がとても気に入った。 そこには、ドアを開けてくれるボーイも、わざとらしいほどの満面の笑みのコンシェルジュもいないけど、すれ違ったお客さんとの『how are you?』が、私にとって、最適な宿のサービスだった。 そして、設備がB&Bとして、すごく整っていて、館内の設計も素敵だったので、ご紹介。 入口には、ストリートに面して、テーブルやイスが並べられていて、世界各国のお客さんがここで、ストリートを眺めながら、ダラダラと休めるようになってる。 入口入ってすぐに、大きなテーブルを横目に、カウンター。 受付兼ドリンクバー。 朝は、ここで、朝食を受け取り、外のテーブルで食べる。 10時以降オートロックのドアを開けると、インターネットスペースと旅の本が本棚に沢山並ぶスペース。 そして、その先の部屋は、キッチン。 なんと、IHのコンロが3つ付いたセットが2セット組み込まれたアイランドシステムキッチン。 スタイリッシュ極まりない。 そして、その先で、中庭に一度出る。 中庭は、ランドリーコーナーと洗面所、シャワールームにトイレ。 中庭を通りこして、階段を登ると、ベッドルームだ。 涼しい大きな空間に、二段ベッドがズラリ。 空間の両脇に個室が並んでて、個室の中には、もちろん二段ベッド。 設計も、空間の使い方(家具の配置)も、スマートでスタイリッシュ。 夜は、夕飯を食べたあと、外のテーブルで、ビールを飲みながら、この旅を振り返った。 ベトナムは、昨年行ったインド同様、経済成長真っ只中。 自分たちが老年者になった頃に、また行ったら、そのベトナムは、きっと、全く別世界なんだろう。 物価が上がって、行くことさえできないかもしれない。 あの、原付の走らせ方や働き方を見ていれば、ベトナムの未来が見えた気がした。 ベトナムが変わるのと同じく、私も当然変わる。 旅の適齢期。 沢木耕太郎は、『旅する力』で、旅の適齢期について、このようなことを書いているので、最後は、これで。 ********* つまり、あの当時の私には、未経験という財産つきの若さがあったということなのだろう。もちろん経験は大きな財産だが、未経験もとても重要な財産なのだ。本来、未経験は負の要素だが、旅においては大きな財産になり得る。なぜなら、未経験ということ、経験していないということは、新しいことに遭遇して興奮し、感動できるということであるからだ。 もしそうだとするなら、旅をするには幼ければ幼いほどいいということにならないか、という疑問が湧いてくるかもしれない。しかし、それはそうならない。極めて逆説的な言い方になるが、未経験者が新たな経験をしてそれに感動することができるためには、あるていどの経験が必要なのだ。経験と未経験とがどのようにバランスされていればいいのか。それは『旅の適齢期』ということに関わってくるのかもしれない。 モロッコで会った40代の旅人が、『わたしも、本当は、あなたみたいな旅をしたかった。でも、20代のときにはできなかった。』と、どうにかしてインドに行きたいと思っていたが、やはりまず働かなくてはならず、私のようにふらふらと旅にでることはできなかったというのだ。そのとき、私はとても軽い調子で『これからだってできるじゃないですか』と言った。すると、彼はこう言ったのだ。 "Too late." もう遅すぎる、と。そして、その言葉を聞いた私は、そうか、そうかもしれないなと思った。彼は主として経済的な事情で旅を後回しにしたが、いまはあるていどの余裕ができてどこにでも旅をすることができるようになった。しかし、その旅はやはり二十代のときにしたかもしれない旅とは違うのだ。彼は彼が望んだ旅の『適齢期』を逃してしまっていたのだ。 やはり旅にはその旅にふさわしい年齢があるのだという気がする。たとえば、私にとって『深夜特急』の旅は、二十代のなかばという年齢が必要だった。もし同じコースをいまの私が旅すれば、たとえ他のすべてが同じ条件であったとしてもまったく違う旅になるのだろう。 その年代にふさわしい旅はその年代のときにしておいた方がいいと思うのだ。 ********* ベトナムから帰ってきて、一ヶ月が経ってしまった。 日本では、穏やかな時間が流れている。 月は満月。秋桜がなびく秋。 私は、この穏やかな日々を、愛している。 旅から帰ると、いつもそう思う。 帰る場所があるから、旅ができる。 いまここにいる場所とこの季節を大切に。 こんな気持ちが 旅の1番のおみやげだよなあと思う。 今夜は秋刀魚にしよう。 台風来る前に買い物へ。 では 行ってきます。 #
by koyama516natsuki
| 2012-09-30 12:36
| 旅
おはようございます、ハノイ。
6時台のハノイの朝は、日本でいうと8時くらいの雰囲気。 もう、とっくに一日は始まっていて、埃が舞う空気。 宿をチェックアウトして、バックパックを背負い、ホアンキエム湖へ向かう。 ホアンキエム湖の前の通りから、ハロン湾へのバスが出発するのだ。 ちょっと早く湖に着いた私たちは、お気に入りのオープンカフェで、ベトナムコーヒーを飲む。 もちろん、甘かった。 朝6時台のホアンキエム湖の周りでは、夏休みのラジオ体操みたいに、みんな、太極拳をやっている。 ハノイは、ベトナムの北部。 太極拳の光景を見てて、中国は近いんだなあと感じた。 甘いコーヒーと太極拳、こんな朝もまた旅先の朝だねー。 バスが出る時間になり、バス停には人が集まった。 そのツアーを仕切るベトナム人が、いきなり、私に顔をめちゃくちゃ近づけて、なんだか謝っている。 どうやら、ツアーバスに全員乗り切らないらしく、9人乗りのワゴンにベトナム人の6人家族と一緒に乗って欲しいと言っている。 別に、目的地に着けるなら、全然OK。そんなに謝ることでもないのにー。 ツアーの中には、2人組の方々が沢山いたのにも関わらず、その9人乗りワゴンに私たちを選んでくれたのが嬉しかった。 バックパックを背負っていたし、ツアーバスというよりも、ワゴンだろうな、あの2人組。と、見えたのかなー。 そのベトナム6人家族に混ざって1つのワゴンでハロン湾を行き来できたことは、本当に幸せなことでした。 その家族は、お父さんとお母さん、の子ども3人姉妹、そして、長女の旦那さんの6人。 これは、話をして聞いたわけではなくて、道中を一緒にして、察したことだから、真実はわからないけれどね。 長女が、英語を話せて、道中のポイントポイントで、サポートをしてくれた。 さて、ハノイの町を出発! 昨日通った旧市街より北へ。 街中を走り抜け、高速道路みたいな道を走る。 いよいよ、ベトナムの道路事情を肌で感じることになる。 昨日まで、ハノイの市内を徒歩で歩き回り、原付障害も慣れて、ベトナムの道路事情をわかった気になってた。 が、全然わかってなかった。 走り出して、すぐにわかった。 これは、死ぬ可能性もあるな。 たまちゃんは、隣でシートベルトをすぐにした。 道路事情を見てる側と、実際に道路を走る側は、違う! カーレースのごとく、抜かし合う車。 反対車線を走るべき車が、こちらの車線を猛スピードで走りながら、前の車を抜かしてくるよー!! ぶつかるー!!!ってときに、あちら側がクラクションを思いっきり鳴らしてくる! こっちの車線に入ってきてるのは、そっちでしょーがー!! そして、よけようとすると、ドーン!と大きな衝撃! 道路に大きな穴である。 ベトナムは、道路のマナーも悪けりゃ、道路の質も最悪。 遊園地のアドベンチャーなんちゃらよりも、横にも縦にも体が振られるし、何より、目でみる光景が3Dの恐怖。 乗って、30分で、当たり前の車酔いである。 三半規管が完全にやられてしまった。 すっかり、ぐったり。 私は深く後悔した。 雨季のベトナムに持って来るべきものは、雨具なんかではなくて、間違いなく酔い止めだった。 なぜ、あの一粒をバッグにしのばせなかったのだ!!! iPhone様に頼り、ひたすら、車酔いの防御策を調査するにも、もう、ここまで、酔ってしまったら、何をやってもダメだ。 気を紛らわそうと、田園風景に時折訪れる集落の生活を想像し、自分がそこで暮らしている妄想をしたりした。 この時の妄想が、帰ってきてから夢に出てきたからビックリ。 日本の生活に、何もかも疲れ果てた私は、誰も知ってる人のいない国の田舎で、ほっそりと米作りをしているのである。 傍らには、赤ん坊。 籐でできたゆりかごに、赤ん坊がユラユラしている。 私の子どもだろう。 私は、人を逃れて、誰もいない国へきたのに、誰かの訪れを待っているようだった。 遠くで、ベトナム人のおばあちゃんが私を呼んだ。 コーヒーが入ったよー!休憩しなさーい! そこで、目が覚めた夢だった。 飛行機から下を眺めたときに見える小さな集落と人の手が作った田んぼや畑。 車から外を眺めたときに一瞬見える素朴な集落と人の手が作った田んぼや畑。 旅をしていると、その風景だけは、いつもいつも、胸をキュンとさせるのだ。 私の知らない、きっと、誰も知らない、決して、今までも、これからも、世の中からスポットの当たらない村でも、1人1人の生活とドラマが繰り広げられてる。 私自身もそうであるように、この集落の人にも人生があるんだよなあ。 なんて、想うのである。 三半規管のバランスがおかしくなり、遠い記憶と幻想を見ていたのかもしれない。 やっと休憩所に着いた。 外へ出る。 長閑な風景だー!! トイレを済まし、すかさず、ガムを買った。 ガムを噛むと内耳が刺激されてよいとiPhoneが言ってた。 ぐったりなわたし。 外の空気を吸ったら、少しマシになった。 さてさて、再出発だ。 ここから先は、一層、道路の質が悪く、ガタガタがずっとずっと続いていた。 もう、気を失いかけていた。 ハロン湾に着いたときは、天国だと思った。 白いビーチで、人々が笑顔で駆け回っている。 でも、少し落ち着いて、ハロン湾を見ると、それほど、海はキレイではない。 でも、海は、やっぱりイイね!! ちょっとビールが脳裏を横切ったから、三半規管が、大分回復していたのかもしれない。 長い船着場を歩き、エメロード号という船に乗り込む。 今日は、一日、この船でハロン湾に一泊するのだ。 船に乗り込むと、さっそく、ウェルカムドリンクのカクテルジュースが出てきた。 これが、車酔いのヘトヘトの体に沁み入ること。 少し、元気になった。 さっそく、出航! 全く動いている気配もないほどにゆっくりゆっくり進むエメロード号。 これは、絶対に酔わないね。 景色が変わってきたことで、エメロード号が動いていたことを認識した。 お部屋は、こじんまりしていたけど、私たちが普段泊まるような、外国のゲストハウスよりは遥かにちゃんとしていた。 そもそも、お部屋にいることは、ほとんどなかった。 ずっとずっとデッキで、ほわーんと海と空を見ていた。 しばらくすると、船が泊まりアナウンスが流れる。 近くに洞窟があり、そこを見学できるらしい。 すると、どこからともなく、手漕ぎの船の女性たちがエメロード号に近寄ってきた。 その船は、全部で3艘。 貝でできたお土産品ばかりを並べた船とお菓子や飲み物を並べた船が2艘。 私たち、観光客に売りにきたのである。 観光客たちが、それちょうだい、あれちょうだい、というと、その女性たちが長い虫採り網を巧みに使って、商品をエメロード号の人々に渡してくれる。 お金のやりとりも、虫採り網を通してやる。 どこから来たのだろう。 エメロード号から20人乗り程の小さなボートに移り、乗り込み洞窟まで向かう。 その途中に、その女性たちがどこから来たのかわかった。 洞窟のある島の周りに、水上生活をしている人々の家が海に浮かんでいた。 意外にも、しっかりとしていて、デザインも美しい水上ハウスだった。 世界には、計り知れないほどの生活と人生があるのだと、またここで思った。 洞窟は、今まで見た中で1番大きな洞窟だった。 でも、観光地だから、オレンジや青色のライトでライトアップされたり、ゴミ箱があちらこちらに設置させられていたのは残念だった。 ライトアップされていない、自然光が射し入る場所の方が、よっぽど美しく、崇高なのに。 洞窟の中を周るのに1時間かかった。 それほど大きな洞窟だった。 エメロード号に戻ると、クレープのサービスがデッキで振舞われた。 目の前で焼いてもらったクレープの皮に自分で好きなジャムを好きな分だけかけて食べる。 私は、ベトナムでおなじみチャーン(レモン)とお砂糖をかけて、いただいた。 そして、車酔いから完全に覚めたここで、ビール解禁! タイガービールにチャーンを絞って飲んだ。 青い海、青い空、世界遺産のこの風景で、ビール! 幸せこの上ない! デッキの中心に、BARがあって、自分で好きにドリンクが頼める。 ビールと昼寝、そして読書。 心地よい風に吹かれながら、そんな午後を過ごした。 エメロード号は、海の真ん中に宿を決め、いよいよ停泊ポイント。 段々、辺りの空気はオレンジめいてきた。 夕焼けの時間だ。 雨季のベトナムなのに、全く雨など降ることもなく、太陽は、より濃く、より丸く、夕陽となって、ハロン湾に沈もうとしていた。 私は、この旅で気がついたことがある。 旅先の町中を靴がすり減るほど、歩き周ることも好きだけれど、やっぱり、私は自然をいっぱいに感じながら、のんびりする時間が、大好きだ。 そして、太陽が出るぞ、日の出を見ようとか、陽が強いね、木陰で休もうとか、雨が降ってきたぞ、干してた洗濯取り入れようとか、夕陽が沈むね、ビール飲もうとか、自然に左右される旅が大好きなのだ。 そんなこと、わざわざ高いお金を出して海外にまで行ってやることでもないと自分でもたまに思うけれど、毎日当たり前に出る太陽でさえ、場所を変えないと見るきっかけさえ作れないのだ。 旅先で、いつも追いかけている、太陽も星も月も。 旅をして、ありがとうを伝えられる気がする。 夕陽が沈んで、黄昏時間も終わりかけた頃、また船内にアナウンスが流れた。 デッキで生春巻のクッキングスクールが開かれるらしい。 たった10人くらいしか参加しなかったけれど、この生春巻講座は、かなり勉強になった。 今度、是非とも誰かに振る舞いたい! さて、夕飯だ。 エメロード号は、昼も夜も朝もバイキング。 ごはんは、どれも美味しかった。 ハロン湾の夜は、本当に心地よかった。 デッキのBARで、気に入ったドリンクは、エメロードモヒートというカクテル。 ラムをスパークリングワインで割って、ミントを大量に入れてくれる。 夜風にあたりながら、お酒をたしなみ、真っ暗闇の海に包まれていたら、いつのまにか寝ていた。 夜も0時を過ぎ、お部屋に戻り、エメロード号の夜に目を閉じた。 朝6時前に目が覚め、デッキに上がると、コーヒーか紅茶のサービスがあり、それを飲みながら、朝陽を見た。 さっきまで、水墨画のような景色だったのが、一気にオレンジ色の絵の具で絵づけをしたいみたいに、オレンジの光とグレーの影のコントラストが美しいハロン湾に包まれた。 すると、デッキで、太極拳が始まった。 参加してみる。 息を吸って吐いて、気を使ってゆっくりとポージングをしてゆく。 ヨガみたいに、じんわりと汗をかいた。 朝ごはんを食べ、エメロード号は、港へ走り出した。 あたしは、既に帰りの道路のことが心配になり、エメロード号の人に嘘をついて、酔い止めをもらう決心をした。 スタッフに、船で酔ったから酔い止めが欲しいと言うと、薬は、船長しか扱えないから、今呼んでくるという。 あらあら、大げさになってしまったよー。 かっこいいヒゲの船長さんが来て、酔い止めを処方してくれた。 嘘ついて、本当にごめんなさい。 エメロード号は、動いていることもわからない程の素晴らしき運転でございました。と、心の中でつぶやいた。 心苦しい嘘の甲斐もあり、帰りの道中、全く酔わずにアドベンチャーを乗り越えられた。 ハノイ市内につき、行き帰りの約8時間を共にしたベトナム人の家族と、お別れのときが来た。 ほとんど、会話なんてしていないのに、あの狭い空間にただただ一緒にいただけで、親しみと愛が湧いた。 まさしく、ラブワゴン効果だ。 最後、握手をして、『これからも良い日々と良い旅を。』と言われ、別れた。 戻ってきたハノイは、午後3時。 明日の午前中にはハノイを出発してシンガポールに向かう。 ハノイでやり残した4つのことを、今日の夕方と明日の朝でやろう! 私たちは、バックパックを背負い、マスクをして、またハノイの町を歩き始めた。 ハノイの町は、相変わらず、大量の原付と商人が埃まみれに無造作に動きまわっていた。 つづく、ベトナム紀行最終章へ。 #
by koyama516natsuki
| 2012-09-09 16:56
| 旅
水のある風景って、なんで、こんなに落ち着くんだろう。
ホアンキエム湖のオープンカフェにて、朝からビアハノイを呑む。 沖縄の小さな島の名もない浜で、引いては寄せる波をただただ見て過ごした時間。 母なるガンジス河、川上から川下へただただ流れゆくのをぼおーっと見て過ごした時間。 そして、いま、ひきも寄せもしない、流れもしない、静かなる湖、ホアンキエム湖を、私はただただ見て、また、『ここに来て良かった。』と思っている。 出逢えたこの風景にありがとう。 ここでは、ビアハノイ1本を、ダラダラと飲んだ。 大好きな西桟橋でも夕陽を見るときは、缶ビール1本と決まっているのだ。 最後、ぬるくなったちょこっとのビールを空を見上げて飲むのも、その心情にまた合っていて、決して悪くない。 大体、そのとき、一番星が出てくる。 水と空とビールは、黄昏黄金比。 ぬるくなった最後の一口を飲み干して、私はまたハノイのまちを歩き出した。 ホアンキエム湖は、ハノイのちょうど中心にある湖だ。 この湖の北部に、ハノイの旧市街がある。 東京でいう、アメ横と合羽橋と浅草を合わせたような活気のある旧市街の入口で、気合いを入れるべく、また休憩をした。 ベトナムコーヒー。 ベトナムは、世界で2番目に生産量が多く、輸出量は世界一だ。 ハノイの街もカフェの数が本当に多く、いつでもどこでも珈琲休憩。 しかし、そこで頼んだ珈琲もやはり、甘かった。 ノンミルク、ノンシュガーと、きつく何度も言っても、甘くして出してくる店が多い。 ベトナムコーヒーの入れ方は、基本、エスプレッソ級。 そこに氷とミルクとシュガーをたっぷり入れて、みんな呑んでる。 ミルクとシュガーを本当に抜いて出してくれたときは、とても濃いエスプレッソが出てくる。 それが、かなり好みで。 氷で薄めながら、チビチビ飲むのに、また良い。 気合いを入れたとこで、立ち上がり、マスクをして、旧市街を歩き始めた。 旧市街は、『ハノイ36通り』と呼ばれる地域で、このあたり一帯は保存地域にも指定されていて、許可なく取り壊しや建て替えができない。 そのため、お菓子屋通り、衣料品通り、金物屋通り、仏具屋通り、玩具屋通りなど、個性豊かな路地が入り組み、古い家並みが続いている。 どの道も、縦横斜めとぐちゃぐちゃに交差して超巨大迷路(バラナシよりはマシ)。 でも、道に一本一本名前が書かれているので、迷ってもすぐに、自分の居場所を導き出せる。 時間を忘れて、気の向くままに歩いた。 時間を忘れて歩いていたはずなのに、お腹がすいた。 朝はフォーを食べたから、昼はブンを食べよう。 ということで、ブンボーが食べられるお店に入った。 その名も、ブンボーナンボー。 『天気予報』と続けて言いたくなるのは私だけだろうか。 朝のフォー屋さんと同じく、席についたら、勝手に出てきたブンボー。 お米から作る麺に、香草やミント、どくだみ、しそ、もやし、たまねぎ、そして韓国のプルコギ風の牛肉が乗っていて、まぜまぜして食べる。 日本人の好きな甘辛系だ。 ついでに、ビアハノイも頼んでしまった。 ここのお店では、ゴミは、床に放り捨てる。 だから、床がゴミだらけだ。 日本人のわたしは、そこにドキッとした。 そのあとも、やっぱり時間を忘れて、旧市街を歩いた。 思わず笑顔になる絵がこの町には沢山あふれていた。 ドンスアン市場というハノイ最大の市場にも行った。1階は日曜雑貨、2,3階は衣料品の店が隙間なく並んでいる。 商品と商品の隙間がないっていうのは、こんなにも購買意欲をなくすんだなあとつくづく思った。 『間』って、何事も大切だね。 物量と活気溢れる旧市街に疲れた私は、またまた珈琲タイムをして、タイですっかりハマった旅先マッサージに行くことにした。 旧市街からまたまた北部へ歩いたところに、お目当てのマッサージ屋さんがあった。 フットマッサージ(ほぼ全身やってくれた)70分コースは、12万ドン。 日本円で、約450円である。 漢方の足湯に浸かったのち、超涼しいクーラービンビンの暗い部屋で、マッサージが施される。 マッサージ師との会話の中で、tokyo is beautiful って言われて考えさせられた。 バンコクでも、デリーでも、旅人にいつも言われる、tokyo is beautiful。 あたしは、tokyoは大好きだけど、beautifulと思ったことは一度もない気がする。 人それぞれのbeautifulの感覚って、面白いなあ。 東京のまちは、たしかに道路はガタガタではないし、ゴミはベトナム程落ちてないけど、それは、beautifulではなく、clean。 旅人のいうbeautifulを私はまだまだ感じてない。 もしかして、私の目や心が、そう見ようとしていないのかなあ。 旅を楽しむ者として、自分の住む街を美しいと自信をもって感じ、東京に旅にくるひとのためにその美しさを保つ一員でありたいと思った。 マッサージが終わって、旧市街へ出ると、この2日間のハノイ慣れがすっかりほぐされてしまい、身体はふにゃふにゃ。 道路を渡るのが怖い自分に戻っていた。 怯えた草食動物のように(笑)、宿の方へ戻る私。 途中、ホアンキエム湖では、ちょうど黄昏時間。 思わず、売店でビアハノイ。 オレンジに染まる湖を見ながら、ビールをちびりちびり。 ハノイの生活は、本当にせわしないなあと思った。 日本のサラリーマンももちろんカリカリ働いているけれど、ハノイの商人もすごいパワーだ。 日本は、いま、どちらかというと、生活をするため以上のために働いている気がする。 でも、ベトナムの商人は、純粋に生活するために働いている印象を受けた。 日本も昔、こんなんだったのかなあ。 陽が落ちようとしていた。 夕飯でも食べよう。 写真つきのメニューがある、安いうまい多いのベトナム料理やさんに入り、ビールと料理をたらふく食べた。 ほんと、地球の歩き方に書いてある通り、安いうまい多いの料理やさんだった。 2人で2000円弱。 ベトナム ご飯 美味しーーーーーーー!!!!! だれか、ハノイ行くとき、絶対絶対行ってください。 帰り道、いつもの角の商店で、10,000ドンの水を買い、宿へ戻る。 商店のおばちゃんが、15,000ドン!とか小声で言ってたのを、さらっと10,000ドンで、無視した。 さらっと、ぼろうとするねえ、ベトナム人! 本当によく歩いた一日だった。 ハノイ中を知り尽くした気分だよ。 明日も、ハノイは、また朝早くから、動き始めるのだろう。 つづく。 #
by koyama516natsuki
| 2012-09-05 21:19
| 旅
朝6時、宿を出て、ハノイのまちを歩き始める。
あれ!道路が濡れている! お、さすが、雨季のベトナム! へへへ、でもでも、去年の雨季のインドで勉強したから、今回は、雨対策バッチリ! と、折りたたみ傘を出して外に出たら、晴天! 道路に水撒きしてただけでした。 傘持ってると降らないのよねー。 いつも、そう。 よし、朝ごはんを食べよう。 早朝だというのに、原付は既に渋滞。 少しでも、隙を見せようものなら、隙間をぬって走りこんでくる原付。 日本の道路では、左通行で車の左側を申し訳なさそうに走るのが原付の存在だが、ベトナムでは、道路全体が原付で埋め尽くされている。 横断も一苦労。 でも、何日か歩いているうちに道路を横断するコツを覚えた。 *気の弱そうなおじさんの運転する車が申し訳なさそうに進む後ろについて渡る *現地の強そうなおばちゃんの後ろにピタリとくっついて渡る *原付が進む方向へ斜めに1歩ずつ横断する 最初は、全く渡れる気がしなかった道路も、帰る頃には、止まることなく、自然と渡れたので、慣れって怖いものだ。 シンガポールでは、逆に、信号を守ることにイライラしてしまったくらい。 そんなこんなんで、朝食に食べるフォー屋さん探し。 地球の歩き方で目星をつけていた鶏出汁のフォー屋さんに。 ハノイの街並み。 道路に面する側の一世帯当たりの間口寸法が決まっているのだろうか。 全部同じ寸法の間口の店が、ずらっと並んでいる。 目が慣れないと、どれも同じようなお店に見える。 そして、何食わぬ顔して、有名店の隣に同じ名前の看板で偽のお店を出したりする。 私たちが探してたフォー屋さんの隣の隣にも、同じ名前のフォー屋さんがあったから、騙されそうになった。 名前で判断しないで住所もしっかり見るべきなんだなあ。 さて、いざ、フォー屋さんへ! 道路側で、道路に向かって、調理をしているので、その後ろのイスとテーブルで食べる。 基本、長机がずらっとあるので、現地の人と相席が当たり前だ。 席に座って、メニューを見る。 あ、このメニューは、ドリンクのメニューだな。 と、食べ物のメニューを探そうとしたら、注文してないのに、フォーが出てきた! なるほど、食べ物のメニューは、フォーだけだから、席につくと、勝手にそれが出てくるシステムなのだ。 透き通るスープに透き通る白いフォー麺がキラキラと浸っている。 その上には、バリエーション豊かな緑の葉っぱたちと、蒸した鳥肉がのっている。 美しい見た目。 と、見とれていると、プラスチックのお皿に乗せられた揚げパンみたいなものも出てきた。なんだろ、これ。 さてさて、フォーの実食! まずは、スープ。 うーん!さっぱりしてて、鶏だけのシンプルなスープ!あっさりしていて美味しい! お、隣の現地の人の食べ方を見ていると、テーブルに切って置いてあるレモン(チャーン)をスープに絞って、赤い唐辛子のタレみたいなのを入れて食べてる! テーブルには、自由に自分の好きな味に変えられるように様々な調味料が置いてあるのだ。 他にも、ニンニクが浸かってるお酢やニョクマムが置いてあった。 フォーに入ってる葉っぱもバラエティ豊か! ミントは基本。その他にもドクダミの葉っぱや香草、ネギ。あと、なんだろう、食べたことない味の葉っぱももしゃもしゃ入ってる。 麺は、音を立ててすすっちゃいけないらしいので、レンゲをうまく使って、音を立てずに食べる。 蕎麦みたいに、ズズズズッといきたいものだが、その国の礼儀を守るのも旅人のルール。 結構な量だったが、完食! 全体的にさっぱりしているので、お腹が軽い感じ。 ちなみに、揚げパンは、スープに浸して食べるようだ。 お会計のときに、自分が揚げパンを何個食べたか申告する。 私は、ビビって揚げパンは食べなかった。 ごちそうさま。 40,000ベトナムドン。一杯150円くらいかな。 7時前だというのに、どのお店もほとんどOpenしようとしている。 食べ物屋さんだけでなく、布屋さんや自転車屋さんや洋服屋さんも。 そして、Openして、近所の屋台から朝ごはんのフォーを買ってきて、店でみんな朝ごはんを食べてる。 お家で朝ごはんを食べる習慣がないらしい。 朝のハノイを散策開始。 地図も見ずに行きたい道に進んでゆく。 道路の両脇には大きな樹が並んでいて、色とりどりの旗がかけられている。 朝の光にキラキラと。 そして、樹と同じく道路の両脇に並んでいる屋台や路面店。 天秤竿で持ってきた野菜やフルーツ、そしてフランスパンを道端で売っている女性たち。 ベトナムは、女性たちが本当によく働く。 屋台や路面店や市場は、ほとんど女性がやってるし、街の原付を走らせる人も意外にも女性が多いように見える。 ベトナムでは女性が働くのは当たり前のこととして考えられているようだ。しかし、日本の女性のように『やりがいを求めて働く』というよりは『生活のために一生懸命働く』という女性が多いそう。 タクシーの運転手やホテルマンや警備は男性だったが、工場内や市場、商店街は女性労働者が目立った。そして、真昼間からバイクの上で昼寝している男性や、警備服を着た男性がお店の前でたむろしておしゃべりをしている光景もよく見た。 なんだか、この光景、沖縄に似ているなあ。 あと、もう一つ、街を歩いていて、すぐに気がついたことが、いわゆる日本でホームレスと呼ばれる人たちを、ほとんど見ないことだ。 平均的につつましい生活をおくるという社会主義共和国ベトナム。 こういう場面で、宗教とは違うカルチャーショックを受けたのは初めてだった。 観光地を巡るのではなく、生活の路地にお邪魔すると、こういうことも見えてくる。 ぐるぐると歩いていると、フゥンフン市場というところに入りこんだ。 ハノイ市民の生活を支えてきた市場が、2008年、次々に解体され、跡地には、近代的な商業センターが再建される中で、移転先で臨時営業を続けている市場の一つだ。 古きよき市場の雰囲気を残して、スーパーでは見られないような食料が所狭しと並んでいる。 肉、魚、野菜、虫、かえる、果物など、が、もちろんパックなんかに入ってることもなく、雑多に所狭しと並べられ、人がすれ違うことも難しい通路の両脇に店を出している。 カエルと肉類は殺されて売られている。 雷魚や鯉は、半殺し状態で売られている。 1番、ぎょぎょぎょとなったのは、生きている白い昆虫がウジャウジャと食べ物として売られていたところ。 うーむ。強くならねば、旅は続けられぬ。ぞ。自分! ハノイの素の生活を見させてもらった。 朝10時を過ぎた頃、あるツアー会社の事務所を訪ねてみた。 翌日に、世界遺産のハロン湾に行こうと思っていたからだ。 事務所で話を聞いてみて、ハロン湾の船上宿泊の予約をすることにした。 世界遺産の海を見ながら、船の上で一日、のんびり過ごすのも悪くない。 私の旅の中では史上最高級のプランではなかろうか。 でも、日本で予約したら、250ドルくらいのものが、ハノイで直に予約したら170ドル程だったので、ラッキー。 そこの日本人スタッフの丁寧さに少し日本が恋しくなったりもした。 また、事務所を出て、原付王国の世界へ。マスクを装着した。 もうね、埃と排気ガスで、マスクなしでは歩けないよ。 実際、現地の人も、原付きに乗る人はほとんど全員、マスク装着人。 柄もののマスクが流行るわけです。 顔と手の甲まで覆れるパーカーを女性はよく来ていて、街でも多く売られている。 そんなファッションを開発するほど、原付社会なんだなあ。 東京でもオレンジ号に乗るとき用に買おうと思ったけれど、柄がなんだかオバちゃん臭くて躊躇した。 今、思うと買えば良かったと後悔している一品だ。 ホワイトマスクマンの日本人わたくしは、ハノイの街を北方面に歩き始めた。 午後は、ゆっくりと旧市街を回ろう。 すると、砂漠のオアシスか!ってくらい救いの癒し系、ホアンキエム湖に出た。 この旅1番のお気に入りスポットとの出会いである。 ホアンキエム湖の畔のオープンカフェに腰を落ち着かせて、私は、もちろん、オーダーをした。 『Excuse me! BIA HA NOI 2!』 つづく。 #
by koyama516natsuki
| 2012-09-04 10:28
| 旅
新しい場所への旅は,誰かのひと言で突然始まるのだ。
『ベトナムは、飯がうまい。』 世界を旅した従兄弟が、旅話をしてくれていたときに ベトナムのご飯を、やたら褒めていた。 その言葉を聞いたときから、ベトナムへの旅路を私は歩き始めていたのかもしれない。 ベトナムから帰ってきて、ベトナムで何を見たっけ。と思い出そうとしても、テーブルの上のお皿の上の料理しか思い出せない。あと、ビール。 と、それほど、ベトナムでは、観光地には、ほとんど行かなかった。 住むように泊まり、暮らすように食べる滞在。 はじめて訪れる場所なのに、何だか自分がこの街の住人になったような気分で、ベトナム時間を過ごしてきた。 旅の日記といっても、食べ物紀行になりそうですが、どうぞ、お付き合いください。 ベトナムのハノイ、ノイバイ国際空港までは、羽田空港からシンガポール航空でシンガポールまで行き、シルクエアーという航空会社の飛行機に乗り換えて辿りついた。 羽田空港の国際線は初めて。 朝6時30分発のフライトだったので、朝4時30分には羽田に行かなくてはいけない。 前日、仕事が終わってから、夜に羽田にゆき、前泊しなくてはいけないという過酷な始まりだったが、飛行機に乗る前、朝の光が旅の始まりを演出してくれて、気持ちのよい出発だった。 シンガポール航空は、とにかく、機内食が美味しかったし、CAさんの制服が素敵だった。 あと、乗りこんだ時と、降りる寸前に、熱いおしぼりが配られるサービスが、とても気に入った! シンガポールのチャンギ国際空港に着いたのは、出発から6時間後。 チャンギ国際空港、すごく広いし、きれい! ターミナル1~3まであるのだが、全部がモノレールでつながっていて、これは、帰りに気がついたことだけれど、空港内にアクティビティが沢山用意されているのだ。 フリーインターネットが、あちらこちらに用意されているのは、もちろんのこと 屋上に プールがあったり 家族で 楽しめるゲームコーナーがあったり 空港内で買い物をしてレシートを見せれば、三階から一階へ降りれる巨大滑り台もある そして、美容院や病院、エステマッサージ。 なんと、空港が無料の市内観光まで企画しているのだ。 空港のパンフレットを見ると、 トランジットで三時間暇なあなたへ とか トランジットで五時間暇なあなたへ とか トランジットで七時間暇なあなたへ 等、空港で暇を潰しトランジットを楽しむための提案が書いてある。 シンガポール、チャンギ国際空港のトランジット空港としての開き直り事業には頭が下がりました。 いよいよ、ハノイ、ノイバイ国際空港へ。 チャンギ国際空港とのギャップが大きい! 何もなくて、電気も暗い。 ローカル感、たっぷり! 好きです、この感じ! 空港でExchangeを。 2人で、2万円だけ、ドンに交換し、これが、帰りには余る程の物価です。 しかも、一万円札×2枚が、半端ない量の札束に。 ベトナムは、コインがなく、全部、お札なのです。 1ベトナムドン(vnd)が0.00376円 つまり、20,000円は5,322,063vnd 000が多くて、換算しづらくて、頭がおかしくなりそう。 例えば、お水1㍑は10,000vnd=37.6円 この換算に慣れるのに、2日はかかったなあ。 さてさて、空港を脱出! 空港に直結の電車はなく、タクシーかエアポートミニバス! 右も左もわからない、恒例の空港脱出作戦。 英語の表示がない恐ろしさ。 インフォメーションで英語でバスの場所を聞いても帰ってくる英語のわからなさよ。 ベトナム人の英語、とても聞き取りずらい英語なのです。 普段、日本人の話す英語も、外国人からは相当聞き取りずらいのだろうと、反省し、自力でバスの出る場所を探す。 タクシーの客引きが話しかけてくる! しつこいんだ、これが! ‥って、全然しつこくない! ひと言二言で、諦める客引き。 インドの客引きと違うわー! なんだか、それはそれで寂しい。 客引きの言い値で、相場を勉強したりするので、それがないと、空港から市内までの相場がさっぱりわからないではないか! エアポートミニバス10人乗りを見つけ、値段交渉。 ベトナム航空Officeまでは2人で100、宿までは150という。 ??? 150vndということは、0.56円? はい!? 意味がわからない値段です! そんな安くていいんですか?? そちら様が、そうおっしゃるのでしたら、、、 と、お釣りもらおうと、50,000vnd札を出したら、全然足りないという。 話が違うじゃん!150って言ったじゃん! かなり、ケンカごしで、もめてると、ヨーロピアンのかっこいい旅人が、50,000vnd札を3枚出しなさいという。 もう、面倒くさくなって、言われるがままに。 バスに乗り込み、人数オーバーでギュウギュウの車内。 いざ、出発。 さっきの、お金のトリックを考え、グルグル。モヤモヤ。 !!!!!! なるほど!口に発するときは、1,000vnd単位なんだ! つまり、150は150,000vndということ! 560円くらいの運賃ってことだー! 納得。 納得した上で、さっき助けてくれたヨーロピアンの旅人にお礼。 このあとも、ずっと、1,000vnd単位で上の数字しか言わない世界でした、ハノイ。 ならば、お金の単位変えてくれよー。 宿に到着し、とりあえず、夕飯! 聞いていたが、原付王国ベトナム! すごい渋滞、原付だけで! 言葉で表現できない、あの光景。 笑いますよ、ほんと。 原付王国観察は、明るくなってからの明日からの楽しみにして、とりあえず、腹ごしらえ。 あれあれ、夜の9時半くらいだったのに、ほとんどのローカルなお店が、閉めかけている。 朝が早いベトナム市場とは聞いていたが、夜も早いんだなあ。 大きめのレストランに入り、やはりわかりにくい英語のアドバイスのもと、ご飯の注文。 メニューが写真なしのベトナム語だと終わりますね。 さっぱりわかりません。 なんとか頼んだ貝料理とカニ料理とビーフン。 味は、美味しい! でも、なんだか料理全体が上品で、私たちの想像してたベトナム料理とはちょっと違う。 でも、まあ、お金の勉強と街の閉店時間を勉強できたから、一日目は良しとしよう。 あと、ビール。 『BIA HA NOI』は、この旅の大切な友となった。 ずっとずっと一緒だったなあ。 ベトナムといったら、『333(バーバーバー)』だと思っていたけれど、ハノイは、333はほとんど飲まれていない。 どこもかしこもビア ハノイだ! ベトナムでできた最初の友達『BIA HA NOI』に、酔わされ、一日目の夜は更けていった。 『明日、何食べよう。』 そんなことを考えながら、眠りについた気がする。 つづく。 #
by koyama516natsuki
| 2012-09-02 10:38
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