サランコットから下山し、街に戻ってきた。
もう、陽は傾いている。 ネパールでは、お馴染みのエベレストビールで喉と心を潤した後、ハガキを出すために、まちの郵便局へ向かった。 メイン通りから少し離れた、ほのぼのとした素朴な街中を歩く。 どんな道にも、どんな角にも、立ち止まりたくなる魅力がある。 だから、旅はやめられない。 普段の生活の、家と職場の行き来の中で、もっと旅をしようと思う。 星野道夫さんが、『どんなにずっと同じ場所にいても、その全てを知り得るってことはできないのだ。』と言っていたのを思い出した。 30分ほど歩いたところで、地図が示す郵便局にたどり着いた。 ただの、うす汚れた小屋だった。 看板は、ひどく汚れ、字が消えかかっていたが、postという字が見えたため、この小屋が郵便局だとわかった。 通りから見て正面に、入口はなく、どこから入ったらよいのか全くわからない。 その小屋の前で、チャイを飲んでいたおじさんに、ハガキをちらつかせながら、『郵便局の入口はどこ?』と聞くと、建物のわきを指さした。 指さした方へ歩いてゆくと、トイレのドアのような簡易的な木の扉があって、それを開けると8畳くらいの部屋だった。 誰もいなく電気もついていない。 汚いデスクひとつと一脚のイスが置いてあった。 郵便物らしきものは、一切置いていない。 ‥‥ここじゃ、なさそうだね。 もう一度、そのドアを閉め、外に出て看板を見る。 確かに郵便局だ。 その小屋の隣に、屋根と柱だけのまたまた汚い食堂があったため、そこにいたお客さん全員に向かって、『郵便局に誰もいないんだけど、どうしたらよいの?』と相談してみた。 そしたら、奥のカウンターから、皿を両手に持った1人の男性が出てきた。 おーおー、今行くよー。と言った感じで。 両手の皿は、右手がカレーで、左手がチャパティ(丸く平たく小麦粉を焼いたもの)だった。 どうやら、その人が郵便局員さんで、お昼をちょうど食堂で食べようとしているところのようだった。 ポカラの郵便局、局員が1人しかいないのねー。なるほど。 その人についてゆくと、先ほど覗いた部屋にやはり入っていった。 その唯一の局員は、『どこまでのエアメールだ?』と聞く。 『JAPAN』と言うと、 右手では、常に、カレーのついたチャパティを持ち食べながら、左手で汚いデスクの引き出しを開け、切手を一枚、器用に取り出し、私に渡した。 接客中のときも、カレーを食べるのをやめない彼を見て、よっぽど忙しいのかと思った。 が、ネパールの田舎に限って、絶対にそんなことはないだろう。笑 ただ、お腹が空き過ぎていたのだ。 まあ、このゆるい感じが旅だよね。と、受け取った切手をハガキに貼る。 もちろん、切手を濡らすためのスポンジなんてないため、その場で、ペロッと舐めて切手をハガキに貼った。 久しぶりの切手の味だった。 そのハガキを彼に託し、私は、郵便局を出た。 今まで見た中で、1番、簡易的な郵便局だったなあ。 また、一つ、私の世界の郵便局辞典に刻むことができた。 このとき出したハガキが、ちゃんと届いているかが、今だにわからない。 カトマンズの郵便局から出したハガキは、どうやら友人に無事届いているようだったが、ポカラから出したハガキの行方は未だわからず。 もし、どなたか届いていたら、ご連絡ください。 エベレストが横長に広がったハガキです。 エアメールは、大体が、自分よりも長い間、世界を彷徨い、日本に到着するから、それもまた面白い。 さあ、ポカラでの3日間も終わりだ。 毎日、夕暮れ時に通った湖が見える広場に来た。 が、夕陽に間に合わず、湖は、既に光を失っていた。 さみしい雰囲気が、漂っている。 見る風景は、そのときの心の情景に大きく左右する。 明日、この地を離れ、またカトマンズに戻らなくてはいけないというだけで、湖には哀愁が広がっていた。 また来たいなあと思わせる安心感が、ここポカラにはある。 ポカラで泊まった宿のおじちゃんにも、沢山の安らぎをもらった。 翌日は、出発の朝が早いため、前の晩にチェックアウトと別れの儀式をした。 にも関わらず、翌朝、きちんと起きて、私たちを見送ってくれたおじちゃん。 ポカラの朝は、まだ始まっていないというのに。 薄暗闇のポカラの町を歩く。 四日前に降りたバスターミナル。 散々見たヒマラヤが、今日も、また別の表情でポカラの町を見守っている。 行きと同じバスを探す。 行きに間違った同じ会社の高級バスを横目に、その後ろにあったショボくて私たちにぴったりなバスの入口で待機した。 まだ、バスのドアは開かない。 時間が早過ぎたかな。 しかし、待てどくらせど、そのドアは開かない。 高級バスの方は、既に乗客が乗り降りしていたので、そっちで、ショボいバスのチケットを見せながら出発について聞いてみた。 すると、またもや、私たちを高級バスに乗るように促した。 だからー、私たちが買ったチケットは、この高級バスのチケットではなく、後ろのショボいバスのチケットなんだってばー。 それを言っても、スタッフは聞き入れず、バスに無理やり詰め込まれた。 で、案内された座席は、運転手の隣。 いやいや、それは冗談ですよね? と、何度もツッコミを入れるが、どうやら本気らしい。 落ち着いて聞き入れると、乗務員の彼は、こう言っていた。 後ろのショボいバスは、乗客人数が運行定員に満たないため、全員をこの高級バスに詰め込み、カトマンズに向かうと。 なるほど、で、ショボい私たちは、普通の席ではなく、この運転席の隣なのね。 しょうがなく、その席に座る。 その席は、個室のようになっていて、普通の座席エリアとの間に透明の壁とドアがある。 運転手さんの部屋といった感じで、一畳くらいの広さだ。 詰めて座れば、5人は座れるスペースがある。 私たちと同じように、ショボい乗客として運転席の隣に案内されたのは、私と夫以外に3人。 1人は、私たちよりは少し若いくらいのアジア系の女の子。 デイパックひとつで旅をしている正真正銘の旅人だ。 もう1人は、小学4年生くらいのネパール人の女の子。 お父さんと2人でこのバスに乗り込んだようだが、女の子だけ、普通の席から、はみ出され、ここに案内されてしまったようだ。 で、もう1人が、ネパール人のおばちゃん。 どこか、東北のおばちゃんといった感じで、大阪のおばちゃんの100倍居心地が良い。 さあ、このメンバーで、カトマンズに向かう。 3対2で、L字型のベンチに座る私たち。 足を伸ばせるような空間はない。 こんな狭い空間で、緊張し合う初対面の私たち。 よそよそしい雰囲気で、満載だ。 救いの共用語である英語を、おばちゃんも小学生も話せなそうだったため、会話もなく、バスは走り出した。 朝陽に向かって走る運転手さん。 大型観光バスの真ん前は、もちろんスリル満点だったけれど、こんなにも景色が良かったなんて、知らなかった。 贅沢すぎる動く景色。 しばらく走っていると、太陽で、道と空気が黄金に輝き始めた。 ちょいと狭いし、堅いシートは座り心地が悪いけれど、既に、この席を案内された自分たちは運がよいと思い始めていたし、私たちがショボい存在で良かったと心から思った。 行きは、普通の座席に座っていたため、バスの乗務員の顔すら見ていなかったし、興味もなかった。 が、この運転席の隣にいると、乗務員のことが気になって仕方ない。 バスの乗務員は、2人いた。 1人は、もちろん運転手。 このときの運転手さんは、40歳くらいのおっちゃんだった。 もう1人は、バスの入口に常にいて、運転手のサポートをする人と言ったら良いのだろうか。 17歳くらいの少年がサポートマンだった。 明らかに、日本でいうバスガイドのように、乗客にサービスする存在ではなく、運転手のパートナーという感じだ。 例えば、そのバスが、前の車を追い越そうとしたときに、サポートマンが指笛を鳴らし、『今、追い抜こうとしているから、スピードあげないでねー』といった合図を前の車に送るのが彼の仕事。 ネパールの山道は、追越し車線があるわけではない。 二台がやっとすれ違うことができる程の幅の道、脇は崖だ。 事故を起こさずに、追い越すためのサポートマンなのかもしれない。 そして、バスの運転手さんが鳴らすクラクションも、自分勝手なクラクションではなく、相手と自分を守る思いやりのクラクションだということがわかった。 反対車線から車が来ているのに、前の車を抜かそうとしている車に対して、クラクションを小刻みに沢山鳴らして、抜かす事が危険だということを知らせていたりもする。 景色が変わらない山ばかりの道がずっと続いていたため、いつの間にか私は眠っていた。 で、次に起きたときは、バスが渋滞に置かれ、みんながイライラしてクラクションを鳴らし続けている中だった。 特に何でもない道、混み合う理由なんて何もない平凡な道だ。 何でこんなに混むの? と、しばらく、我慢していたら、いきなり、運転手が外にすごい勢いで飛び降りた。 何も持たずに。 え?え?え? と、20秒もしたら、さっきの運転手とはまた別の男が運転席に飛び乗ってきた。 そして、何食わぬ顔で運転を始めた。 そして、ふと反対車線のバスを見ると、さっきまでの私たちの運転手が運転席にいて、同じ何食わぬ顔で運転している。 なるほど、この何でもないのに混む道は、反対から来たそれぞれのバス会社の運転手とチェンジする場所なのだ。 しかし、すごいチェンジ劇だ。 特にエンジンを止めるわけでもなく、ブレーキひとつで、運転手をチェンジし合うのだから。 運転手に、自分のテリトリーがあるのだという事も、この席に座れたからこそ知ることができた。 後ろの普通の席に座っている人たちは、運転手がチェンジしたことなんて、気がつきもせず、ガーガーと心地よさそうに眠っていた。 また、何もない道が永遠と続いた。 途中、行きと同じ休憩所で止まり、トイレ休憩があった。 トイレが終わり、席に戻ると、外で、バスのサポートマンが、馴染みのミカン売りのおばちゃんと楽しげに話しているのが見えた。 そして、運転手が、そのサポートマンの少年に、『ミカンもらってこい!』と、イタズラっぽい顔をしながらジェスチャーで伝えた。 少年は、『ミカンちょうだいなんて、この怖いおばちゃんに言えないよー!』と、また、笑いながら、ジェスチャーで運転手に返す。 そのやりとりを見ていた、私たち1畳の仲間は、クスクスと顔を見合わせながら笑い、場が和んだ。 そして、苦労して少年がもらったミカン。 なんと、私たち1畳グループにくれたのだ。 東北のおばちゃん風のネパール人が、彼から2つ受け取り、そのうちの1つを私たち夫婦にくれた。 私は、遠慮して、『隣の小学生にあげてよ!』とジェスチャーで伝えると、『私のを半分あげるから良いのよ。』と、おばちゃんもジェスチャーで返した。 私はありがたくいただくことにし、皮ごと3等分に分け、そのうちの1かけをアジアの女性にあげた。 みんなで、2つのミカンを分け合って食べたその光景、最初、乗り込んだときの緊張感からしたら、考えられない和やかさだ。 ミカンが、私たちの空気を救った。 ミカンは、種が大変多かったが、とびきり甘かった。 そして、私は、持っていたスーパーの袋を皆に無言で差し出し、ミカンのゴミを回収した。 ここでも、もちろん会話はせず、ジェスチャーで。 笑顔で見つめ合い、心を通わせた、このミカンの時間が、私はこのネパールの旅で1番の思い出だったと、帰ってきた今、思う。 カトマンズへの8時間程の道、最初は、緊張し合っていた空気だったのに、特に言葉を交わすこともなく、たった8時間の間に、信頼し合う和やかな空気に変わるのだから、人間は、なんて素晴らしいのだ。 1番緊張していた小学生の、この変化を見ていただければ、通じるだろう。 カトマンズに着き、また、言葉もなく、私たち1畳グループは静かに解散をした。 人間、何を話すということでもなく、一緒の空間にいることって、本当に大事なことなんだなあと思った。 急に、日本のコタツが恋しくなってきた。 あの、時折、足がぶつかり合い、だけど、言葉もなく、お互いの居場所を作り合うあの感じ。 そして、ミカンを中心に微笑み合う雰囲気。 ポカラからカトマンズへの帰りのバスで、そんな日本のコタツのような空間を味わい、いよいよ、この旅も終わりに差し掛かろうとしていた。 到着したカトマンズは、既に夕方。 カトマンズ初日に会い、日本寺を紹介してくれた日本人の男性と、たまたま道端ですれ違い、『ポカラはどうだったかい?』と聞かれ、私たちは、『とても、温かい場所だったよ。また行きたい。』と返し、『じゃあ、また。』と、『また』があるかもわからないのに、惜しげもなく自然と別れた。 そして、騒がしいカトマンズの町に、私たちは、また馴染んでいった。
by koyama516natsuki
| 2013-02-11 22:58
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