自転車で沖縄本島1周の旅(2009年)

これは、2009年に沖縄本島を自転車で1周したときの記録です。
自転車旅をする人の参考になればと再掲載します。

【2009年12月27日 沖縄一周自転車旅2日目】
■曇りのち晴れ
●那覇 9:00●
58号をひたすら。

●北谷 10:00●

●残波岬 11:15 パンク●
弟のルイガノにクギがささりパンク。
残波岬で修理!

●残波岬出発 12:30●
たまたま見つけた食堂。
長浜 海の家がんじゅうにてそばを食べる 13:00
堤防の絵柄がカラフル!

●真栄田岬 13:40●
なんだか残波岬より人が少なくて浸れそうな場所

●恩納 フルーツハウスken(宿) 14:30●
宿の寝る場所は、なんと植物茂る温室!

●万座毛 15:00●
時間があったので万座毛まで
万座毛とは 沢山の人が座れる原っぱという意味らしい!
観光客多い。

●宿のそばでの『山田商店』●
昔ながらの雰囲気で素敵
80円のオレンジジュース買ったら シークヮーサー(疑惑)大量とチョコレートくれた!
瓶ビールのふた(普通なら栓抜き必要)なのに、お店のおばあが、手であけた!
旅だね これが。

そうそう 昨日が旅の1日目で南部(那覇マラソンコース)をまわったのだけれど、前日の会社忘年会の一気飲み10杯が原因で、平和祈念公園でリバース。
まぢで 平和を祈念する場所なのに申し訳ない。
マーライオンばりに 口からリバースでしたよ。
そんなこんなで日記書く元気もなく2日目からの記録です。

2日目
走行距離:56.3km

【2009年12月28日 沖縄一周自転車旅3日目】
■ずっと雨
朝、トタンに打ちつける雨音で目を覚ます。
ああ、雨か。
寝ていたい。
いつもの旅ならば、間違いなく部屋でダラダラしているが今回の旅はそんなことはしていられない。
前に進まねば。
●恩納村(宿)出発 08:05●
小雨を見計らい出発。
昨日見た万座毛を横目にひたすら許田を目指す。
途中、雨風が激しい。
風をしのぐため、順番に前を走る。

●許田 09:05●
11:00の伊江島行きフェリーに乗るために本部港へ行かなくちゃ。

●本部港 10:30●
目を細めてひたすら港を目指して走った。
雨が強い。
なんとか時間に間に合い、港のトイレで濡れた全身を着替えた。

●本部港発 11:00●
フェリー
フェリーの中で飲んだミルクティがやたら美味しい。
甘くて温かくて。

●伊江島着 11:30●
伊江島に無理やり来た理由…それは、母の20年前の友人に再会するため。
25年前に竹富で遊んだ仲間が伊江島に嫁いで暮らしているとのこと。
電話番号なんて知らない。
メールなんて知らない。
知っているのは住所だけ。
そして、アポなんてとっていないから、家にいるかなんてわからない。
港を出て、住所の集落をグルグルするが見つからない。
新聞配達の人にきくもわからない。
旦那さんが教頭先生という情報を出すと教員住宅というのがあると教えてくれた。
ただ、その新聞配達のおじいは教員住宅の場所を『あっち』と言った。
とりあえず、私たちは『あっち』を目指した。
途中、資生堂の事務所?で教員住宅をきちんと聞いたら、次の門を左にとのこと。
集合住宅があった。
ポストの表札を見たら、名字があった!
母が走る。
そして、戸惑うことなく、ピーンポーン。
母、強し。
25年ぶりとかだったら、普通、ためらったりするだろー
女性が出てきた。
超、戸惑う女性。
「千葉のゆきこですー」
「????????」
「え?うそ!ゆきちゃん?」
無事、再会劇完了。
もう、伊江島でのイベントは終わりです。
たっちゅう とか下から一応見上げてフェリーで本部港へ。
滞在時間90分(笑
●伊江島発 13:00→フェリー→本部港着 13:30
帰りのフェリーでももちろんミルクティー飲みました。

●瀬底島 13:50●

●瀬底島出発 15:30●
いよいよ、今帰仁。
ちょっと、起伏が激しい…
陽が傾いてきた。
今夜の宿、そして一年ぶりの結家に。

●名帰仁『結家』(宿)16:20●

3日目
走行距離:64.9km

【2009年12月29日 沖縄一周自転車旅4日目】
■超晴れ!
目が覚めたら、波の音と海の青!
やっぱり、結家は最高!

●今帰仁 結家 出発 10:05●
自転車で去ってゆくのって、気持ちいいね!
なんか、旅って感じ。

●今帰仁城跡 10:15●

●今帰仁城跡出発 11:15●
通りがかりに黒糖もらう
沖縄の人って、何でそんなに食べ物をくれたがるんだろう。
ありがとう、お母さん!

●(名護宜野座線) 我部祖河食堂にてソーキそば 12:15●
沖縄そば図鑑に載ってたそばや。

●そば屋出発 13:15●
いっやー
坂ばっかだね、今帰仁。

●屋我地島 13:45●
いよいよ、古宇利島へのプレリュード!

●古宇利島 14:00●
古宇利島橋にて釣り糸チェーンに絡まるというハプニングもあったが、この橋、ほーんと長いし青い!
よく繋げたよなあ。
伊良部もこうして繋がってしまうのねと感慨深くもなる。

●フクルビ 14:30●
古宇利橋を見下ろしながら、マンゴージュース。

●古宇利島 さよなら 15:30●
古宇利島の外周は平坦だという嘘にだまされ進んだが、ひたすらアップダウンを繰り返しまわる。

●屋我地島 さよなら 16:00●
ひたすら気持ちのよい夕方の海沿いを走る!
最高な気分でしたー

●大宜味村(民宿マリン)到着 16:20●

4日目
走行距離:58.3km

【2009年12月30日 沖縄本島一周自転車旅5日目】
■雨。
●大宜味(宿)出発 08:40●
雨だし、やんばるだしひたすら走る!
海沿いの後、山だ!やんばるだ!

●辺戸岬(最北端) 10:25●
ここが最北端かあーー。
ヒューって感じです。

●辺戸岬 出発 11:30●

●やんばるにてオレンジ号 前輪パンク 12:20●
さあて、やんばるをちょいと走ってもうすぐ宿だあ~ってとこで、オレンジ号がパンク。
1人でやんばるをチャリ押して歩く。
鳥の笑い声が沢山聞こえた。

●国頭村奥共同売店のベンチにてパンク修理完了 13:30●
やんばるの休憩集落は奥集落。
そこの売店にてパンクを直す。
というか、チューブ替えただけ。

●奥 『海山木』(宿)到着 14:00 ●
ここの宿、雰囲気さいこう。
囲炉裏があるよー
素敵な本棚あるよー
明日は、いよいよ、やんばる越えの80キロだ!

5日目
走行距離:46.0km

【2009年12月31日 沖縄本島一周自転車旅6日目】
■曇り
さあ、今日はやんばるだ。
雨が降っていなければ、それだけで出発するための準備は完璧だ。
宿猫のアラがにゃーと、私たちを気持ちよく送り出してくれた。

●奥(宿)出発 09:00●
やんばる やんばる やんばる
登って登って登って
下って下って下って
昨日の続きだ、やんばるをひたすら無心で走り抜ける。
いや、抜けてない。
いくら走っても抜けられない。
先がない。
終わりがない。

●安波共同売店 10:15●
長い下り坂を下ると、そこに安波という集落があった。
トイレ休憩をし、陸の孤島をまた出発した。
やんばるで幾つかの集落を踏みいってきたけれど、集落の度に坂を下り、集落を通り過ぎるとまた坂を上るというシステムが憎いやんばるシステムだ。
そのシステムを知ることができただけでも、やんばるを自転車で走った甲斐があったもんよ。
と、やんばるの意義を無理やり探してみた。

●東村 夢蘭 11:30●
やんばるの途中に一件のカフェがあった。
やたらとお化粧をバッチリしたおばちゃんが迎えてくれたそのカフェではカレーを食べた。

●安部 いしぐふー 13:50●
しばらく走った。
もう無心よ。
今日の宿を出て、ちょうど50キロ地点で、信号が初めてあった。
あの感動と行ったら…走った人にしかわからないと思うので省略。

●名護市 二見(民宿てるや)到着 14:55●
休むと頑張れる。
今回、チャリ旅で気がついたことの一つ。
当たり前なことだけど、普段は、実感する程、窮地に追いやられない甘い日々。
これからの未来で、つらいことあったら、迷わず休もう。
夕飯は、近くのパーラー二見で、大きい鍋で豚汁!
大みそか、夕飯後は、紅白を見ながら大みそからしいことをしてみる。
日付が変わり、「あけましておめでとう」
次の日も、元旦だろうが前に進むべき走らなければならないので、就寝。

6日目
走行距離:77km

【2010年01月01日 沖縄本島一周自転車旅7日目】
■1月1日。晴れ。
宿のそばの海で初日の出を拝む
といっても、何も昨日とは変わらない朝陽なのだけれど。
今年もよろしくね、今日もよろしくね。

●名護市 二見(宿)09:00●
民宿てるやのおっちゃんに背中を見送られてさっそく坂のぼり。
やんばるの破片が朝から体を苦しめる。

●金武 10:10●
やんばるの残務をこなすと、いよいよ街中。
英語の看板、金武町。
元旦のために、ほとんどの店が閉まっている。

●具志川 10:55●
海中道路が見え隠れしてきたために県道をそれて、海沿いを走ろうとするシーサイドチャリダー軍。
海風が気持ちいい!が、起伏が激しい!

●A&Wうるま 11:15●
お腹すいたーと感じた瞬間に食べ物屋さんがあるという都会の素晴らしさ。
元旦にハンバーガーむさぼる26歳女子。

●藪地島 12:20●
さあ、いよいよ海中道路。の前に藪地島。
島へは古い石でできたアーチ橋を渡る。
島の中は、民家は見当たらない。
小さな畑はあるが、人の暮らしが見えない。
島を2つに分ける一本道を突き進むと、目指していた場所に行き着いた。
ジャネー洞。
大きな木で囲まれジメジメしたそこには深く大きな鍾乳洞。
ブルっと鳥肌が立った。
そこは、アマミチューという神?人間?精霊?が産まれた場所とのこと。
アマミチューってなんぞや。と、初めて聞いたその存在に、この時は特に興味もなかったけれど、この後、なぜか縁あって偶然たてた計画がアマミチューを辿る旅路となる。
藪地島にはやはり人は住んでいないようだ。
後で浜比嘉島のおじいが言っていた。

●海中道路 あやはし 13:05●
さて、いよいよ海中道路。
海を走る。
地図ではラクそうに見えた平安座島→宮城島→伊計島を横断したのだが、起伏が激しいったらありゃしない!
特に宮城島では、常にギアはインナーに入れっぱなしで時速7キロ走行。
やんばる越えをして、気を抜いていただけに、本当にツライ島渡りでした。
元旦から、結局90キロ以上走って、寝正月とは程遠い行動っぷり。
そんなこんなで、伊計島の先端まで行って、何することもなく、宮城島 →平安座島と来た島を渡って帰る。

●浜比嘉島 15:00●
浜比嘉大橋を渡って、浜比嘉島へ。今夜の宿は、浜比嘉島です。
たとえ、本島とつながっていても、島に泊まるという安心感。
橋を渡ってすぐにある堤防にて ゴロンとしてみる。
島同士が仲良さそうにつながっている一帯。
本当は仲良くなさそう。島中に「学校合併反対」という手書きの看板だらけ。
島には島なりの悩みがあるんだよな。

●浜比嘉島(宿)到着 15:30●
宿に着いて、時間があったので、宿のそばの観光名所「シルミチュー」という場所へ。
急な階段、登り切るとまたまた、暗めな洞窟が。
説明書きを見る限り、どうやら、ここで祈ると子宝に恵まれる場所と伝えられているようで全国津々浦々から、夫婦が祈願しにくる場所だそうです。
そして、偶然にも、先ほど、藪地島で行った「アマミチュー」と、この「シルミチュー」は夫婦で、この洞窟は、その夫婦が生活した場所とのこと。
生まれた場所と生活した場所に、それぞれの夫婦の名前がつけられているのだ。
そして、この島には、二人のお墓もあって、満潮になると渡れない小島にそのお墓はあった。
アマミチューとシルミチュー、この旅で初めて知った存在。
なんだか気になりつつ、旅も終盤。

夕飯を食べて、20時に就寝。
元旦、つかれ過ぎました。

7日目
走行距離:90.5km

【2010年01月02日 沖縄本島一周自転車旅8日目】
さあ、いよいよ最終路は久高島への道
雲行きが怪しいけれど、なんとか雨は降ってない!
さあ、出発だ!

●浜比嘉島(宿)出発 08:30●
浜比嘉島は、浜集落と比嘉集落からできていて、橋を渡ってきて右が浜集落、左が比嘉集落と別れている。
なんだか仲が悪そう。
私たちが泊まったのは比嘉集落。
橋を渡る前に浜集落をぶらっと寄って、海中道路へ。
浜集落と比嘉集落、全然印象が違ったなあ。

●勝連城跡 09:40●
もう、チャリ旅8日目となると、疲れがたまってきて走りに軽快さが全くない。
よいしょよいしょとペダルを漕ぐ。
でも疲れていても寄りたかった勝連城跡。
城跡の下にチャリ置いて、克つての勝連城を攻める。
眺め最高。今朝出てきた浜比嘉島や自分たちが走ってきた道を見渡して、チャリ旅の終わりを少しずつ感じる。

●勝連城跡 出発 10:15●
勝連城跡を出て、あとは、久高島へのフェリーが出る安座真港を目指すのみ。

中城城 11:10

南城 12:00

と、すっとばして、佐敷という場所で佐敷そばを食べる。

●斎場御嶽 13:15●

●安座真港発 17:00●
久高島への最終フェリー。
フェリーに自転車載せるのも慣れてきたぞ!
ロープで縛って、船体に固定!

●久高島着 17:30●
久高島へ着いて、交流館へ。
今夜の宿は、交流館。
民宿とはちょっと違う宿泊施設。
久高島、島に行く前にリサーチしたところ、民宿のほかに民家にも普通に泊まれるらしい。
そして、この交流館と、なんと郵便局にも泊まることができる。
夜は、布団の中で、この1週間の写真を見ながら、旅を振り返る。

そして、本当の最終日。
2010年1月3日。
雨。

11時がチェックアアウトなので、それまで、宿でゴロゴロ。
11時に宿を出て、久高島をなんとなく一周してみる。
久高島の先っちょに「アマミキヨ」という場所があって、なんと、昨日の「アマミチュー」が久高島では、こう呼ばれているのだ。
そして、この「アマミキヨ」という場所は、少し住んだ場所として祀られている。
アマミキヨは、水がないこの島に嫌気がさして出て行ってしまったとのこと。

昼食を昨夜と同じく「とくじん」にて摂って、フェリーで本島へ。
「海辺の茶屋」宮本亜門の家の隣にその茶屋はある。
雰囲気よい。目の前の海を眺めながら珈琲を。

そして、さて出発!
が、またすぐに寄り道!
出発してすぐにある「奥武島」にて、てんぷらを食べる。
さっき、ランチ食べたばかりじゃん!珈琲飲んだばっかりじゃん!
なかなか前に進まない。
那覇は近いようで遠い。誘惑が多いんだ!都会は。
誰かが言った「みんな、旅を終わらせたくないんだね」が印象的。

のろのろとゴールへ。
1週間ずっと一緒に走ってきた3人。
3人で走るということに慣れて、相手の道路での癖も見つけた。
3人で走ることの快感をやっと感じだしてきたころだったのに、今日が最終日か。
遂に、正真正銘のゴールである「具志頭」に。
ちょっと、ウルっと来た。
自分が成し遂げた達成感とかではなく、なんだろう、「行ってきます」と「ただいま」の交点に立てた、ただそれだけの感触にかなあ。
やっぱり、スタートとゴールは「同じ点」じゃなくちゃね。
みんなで、親指を沖縄の空に突き立ててゴール!

沖縄本島一周。
2009年5月9日に、このオレンジ号を買った。
忌野清志郎が亡くなって、5月8日に葬儀式に並んでいるときに、急に思い立って「オレンジ色の自転車買って、清志郎が達成できなかった沖縄本島一周をしよう!」と誓ったのが、この旅の始まりだ。
いつも「旅すること」に理由なんてないのだけれど、今回の旅は、理由だらけだった気がする。
あと、清志郎が言っていたこの言葉を確認したかった。
「独りで走っている時とみんなで走っている時とじゃ、全然違うんだ。独りで走っていると、自分がどのくらいのスピードで走れば目的地に着けるのかとかがよく見えない。途中で疲れちゃったりすれば「やっぱ、やめた。もう疲れた。帰ろう」っていうようなことも簡単にできる。でも、みんなで「どっかまで行こう」って決めて走っている時は、全然意識が違ってくる。「独りでやること」と「独立すること」は、全然違うってことを、自転車は気がつかせてくれるんだ」
確かに、そうだった。
もちろん、それぞれが自分の自転車で走っていて、パンクをすれば自分の手で直さなくてはいけない。
独立しているからこそ、独りではないんだってことがこの旅でわかった。

那覇の街、国際通り。
県庁の空が、私の愛車オレンジ号の真似をして、茜色。
「おかえり」と祝福してくれた。
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# by koyama516natsuki | 2013-09-13 14:46 |

ネパールの旅 最終章 『しおり』

帰ってきてからのカトマンズでは、暮らすように過ごした。

毎朝、同じ喫茶店に、同じ朝食を食べに行くために、同じ道を通った。

街を歩き回っていると、まずは道を覚える。

そして、次は、人の顔を覚える。

人の顔を覚えることで、道がもっとわかるようになるから面白い。

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どこも似たような露店が並ぶカトマンズのタメル地区では、店主の顔を覚えることが、買い物のポイントでもある。

入る店によって、同じものでも値段が全然違うし、同じ店でも、毎日、値段が違う。

そんな、値段があるようでないカトマンズでの買い物は、とても面白かった。

ある魔法の一言を使うことによって、大体の商品が半値になることも学んだ。

どれも、日本人から見たら、生産者に申し訳ない気持ちになる程の値段だが、値切る快感は、一度味わうとやめられないものだ。

夫が真夜中に、寝言で、指数字を交えながら、『これでどうだ!』と、値切っていたときは、本当に笑った。

値切りの夢を見ていたのだ。

東京に住んでいると、値切って商品を買うことなんてないから、こういうところで、西の血が騒ぐんだろうなあ。


私たちの旅のスタイルは、街を移動するスケジュール(例えば、長距離バスに乗る日など)は決めるが、その街でのスケジュールは、いつも、その場で決める。

今回も毎朝、『さて、今日は何をしようか』という会話が珈琲の友達だった。

そこで、最後の最後まで、行くかどうか悩んでいた観光地が、『パシュパティナート』だ。

ガンジス川の支流であり、聖なる川とみなされるバグマティ川の川岸にあるパシュパティナートには火葬ガートがあり、観光客はその場所を見にゆく。

インドのバラナシで、マニカルニカー・ガートというガンジス川沿いの火葬場に行ったとき、私たち夫婦は、その場所に観光客が立ち入り、焼けてゆく遺体にカメラをむけることに良い気持ちがしなかった。

そんな共通の感性を持っていた。

だから、今回、このネパールでも観光化しているその火葬場に行くかどうか話し合いが何度もあった。

有名な観光地だからといって無理に行く必要はないという意見と、何事も経験してからでないとその場所の良し悪しは語れないという意見の狭間で私たちは行き来した。


そして、結果的に、私たちは後者の気持ちを大事にすることにしたのだ。

旅は、自分の五感で感じることこそが醍醐味だと思うから。

嫌な気持ちになって、もう二度と来たくないという気持ちになっても、その場所を経験しないよりは、よほど素晴らしい。

尊敬する旅友達が、こんなことを言っていたのを思い出した。

『大切な人との出会いはいつも胸が張り裂けるほど悲しいが、たとえ別れがあっても、 出会いがないよりはましだ。 これが喪失のすべてもの救いだと私は思う。』

嫌な気持ちにひとつもならない旅がしたいのなら、コタツに温まりながら、ガイドブックや旅番組でも眺めていればよいのだ。

私たちは、予想した通り、その火葬場で良い気持ちにはならなかった。

が、しかし、その過程で出逢った街並みや景色や家族との出会いは、この場所に行かなければなかったものだということを考えると、やはり、挑戦と経験は、無傷であることよりも価値のあるものだと思うのだ。

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その日の夕飯は、いつも混み合っているのを横目に見ていた角地のごはん屋さんに入った。

その店は、地球の歩き方には載っていなかったけれど、とても居心地が良かった。

例えば、時計の針が刻々と19時に近づくにあたり、どのテーブルにもローソクの火が灯された。

計画停電に備えての灯りである。

19時になると同時に、ローソクの灯りだけになる店内。

その光景は、私たちのネパールでの最後の夕飯に、とても相応しかったように思う。

ネパールの旅はどうだった?

と、聞かれたら、私たちは、まず、計画停電のことを語るだろう。

それ程に、暗闇の中に私たちの旅はいつもあった。

空港へタクシーで向かう中で見た風景。

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ロウソク一本が照らすそれぞれのお家がやたら温かく感じられ、ロウソク一本一本の流れる町並みが、7日前、カトマンズへ降り立った時の飛行機からの夜景にも似ていて、その時の気持ちを思い出したりもした。

着いた空港で、搭乗手続きを済ました後、行きで読んでいた小説の残りを、固く冷たいベンチで読んで時間を過ごした。

最後まで読んだところで、涙が出てきた。

その本がドラマティックなラストだったのかもしれないし、旅が終わろうとしているからセンチメンタルになっていたのかもしれない。

読み終わったその小説を、パラパラと後ろから前へ親指でめくっていたら、一瞬、「しおり」らしきものが見えた。

あれ?
「しおり」なんか入れていたっけ?

と、もう一度、めくってみると、「しおり」はあった。

それは、元旦に、ポカラの山の中で見つけた美しいシダの葉だった。

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山登りの途中だったので、「とりあえず」と、拾ったシダの葉を持っていた小説の間に挟んでいたのだった。

すっかり忘れていたが、そのとき拾ったままの形でキレイに、押し花ならず押し葉となり、本の「しおり」となっていた。

旅とは、まさに、この「しおり」の様なものである。

しおりの語源は、山道などを歩く際に、迷わないように木の枝を折って道しるべとする事から、『枝折』となったという。

本をどこまで読んだかという目印や初心者のための手引書などを「しおり」というように、私にとっては、旅そのものが人生の「しおり」のように感じる。

道に迷ったときに、枝を折るように、私は旅に出ていたように思う。

ネパールの旅の終わりに、そんなことを考えていた。



搭乗のアナウンスが空港内に流れ、私は「しおり」を小説に、また挟んだ。

容量の悪い機内への誘導に、少々イライラもしながら、私たちを乗せたキャセイパシフィック航空は、無事、暗闇のカトマンズを飛び立った。

帰りは、経由地の香港から台北に行く羽目になるミスもあり、行きよりもやたら長く感じられた。

そして、ネパールの旅のことを書き終えようとしている今、旅から一ヶ月ちょっとしか経っていないのに、とても長い時間が経ってしまったようにも感じられる。

日本が、とても明るいせいかもしれない。

今夜は久しぶりに、電気を消して、ロウソクを灯してみよう。

そして、また明日から、枝を折りながら、道を進もう。

私の1年は まだ始まったばかりだ。
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# by koyama516natsuki | 2013-02-18 22:54 |

ネパールの旅 ⑦ 『旅するコタツ』

サランコットから下山し、街に戻ってきた。

もう、陽は傾いている。

ネパールでは、お馴染みのエベレストビールで喉と心を潤した後、ハガキを出すために、まちの郵便局へ向かった。

メイン通りから少し離れた、ほのぼのとした素朴な街中を歩く。

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どんな道にも、どんな角にも、立ち止まりたくなる魅力がある。

だから、旅はやめられない。

普段の生活の、家と職場の行き来の中で、もっと旅をしようと思う。



星野道夫さんが、『どんなにずっと同じ場所にいても、その全てを知り得るってことはできないのだ。』と言っていたのを思い出した。


30分ほど歩いたところで、地図が示す郵便局にたどり着いた。

ただの、うす汚れた小屋だった。

看板は、ひどく汚れ、字が消えかかっていたが、postという字が見えたため、この小屋が郵便局だとわかった。

通りから見て正面に、入口はなく、どこから入ったらよいのか全くわからない。

その小屋の前で、チャイを飲んでいたおじさんに、ハガキをちらつかせながら、『郵便局の入口はどこ?』と聞くと、建物のわきを指さした。

指さした方へ歩いてゆくと、トイレのドアのような簡易的な木の扉があって、それを開けると8畳くらいの部屋だった。

誰もいなく電気もついていない。
汚いデスクひとつと一脚のイスが置いてあった。

郵便物らしきものは、一切置いていない。

‥‥ここじゃ、なさそうだね。

もう一度、そのドアを閉め、外に出て看板を見る。

確かに郵便局だ。

その小屋の隣に、屋根と柱だけのまたまた汚い食堂があったため、そこにいたお客さん全員に向かって、『郵便局に誰もいないんだけど、どうしたらよいの?』と相談してみた。

そしたら、奥のカウンターから、皿を両手に持った1人の男性が出てきた。

おーおー、今行くよー。と言った感じで。

両手の皿は、右手がカレーで、左手がチャパティ(丸く平たく小麦粉を焼いたもの)だった。

どうやら、その人が郵便局員さんで、お昼をちょうど食堂で食べようとしているところのようだった。

ポカラの郵便局、局員が1人しかいないのねー。なるほど。

その人についてゆくと、先ほど覗いた部屋にやはり入っていった。

その唯一の局員は、『どこまでのエアメールだ?』と聞く。

『JAPAN』と言うと、

右手では、常に、カレーのついたチャパティを持ち食べながら、左手で汚いデスクの引き出しを開け、切手を一枚、器用に取り出し、私に渡した。

接客中のときも、カレーを食べるのをやめない彼を見て、よっぽど忙しいのかと思った。

が、ネパールの田舎に限って、絶対にそんなことはないだろう。笑

ただ、お腹が空き過ぎていたのだ。

まあ、このゆるい感じが旅だよね。と、受け取った切手をハガキに貼る。

もちろん、切手を濡らすためのスポンジなんてないため、その場で、ペロッと舐めて切手をハガキに貼った。

久しぶりの切手の味だった。

そのハガキを彼に託し、私は、郵便局を出た。

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今まで見た中で、1番、簡易的な郵便局だったなあ。

また、一つ、私の世界の郵便局辞典に刻むことができた。

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このとき出したハガキが、ちゃんと届いているかが、今だにわからない。

カトマンズの郵便局から出したハガキは、どうやら友人に無事届いているようだったが、ポカラから出したハガキの行方は未だわからず。

もし、どなたか届いていたら、ご連絡ください。

エベレストが横長に広がったハガキです。

エアメールは、大体が、自分よりも長い間、世界を彷徨い、日本に到着するから、それもまた面白い。


さあ、ポカラでの3日間も終わりだ。

毎日、夕暮れ時に通った湖が見える広場に来た。

が、夕陽に間に合わず、湖は、既に光を失っていた。

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さみしい雰囲気が、漂っている。

見る風景は、そのときの心の情景に大きく左右する。

明日、この地を離れ、またカトマンズに戻らなくてはいけないというだけで、湖には哀愁が広がっていた。

また来たいなあと思わせる安心感が、ここポカラにはある。


ポカラで泊まった宿のおじちゃんにも、沢山の安らぎをもらった。

翌日は、出発の朝が早いため、前の晩にチェックアウトと別れの儀式をした。

にも関わらず、翌朝、きちんと起きて、私たちを見送ってくれたおじちゃん。

ポカラの朝は、まだ始まっていないというのに。



薄暗闇のポカラの町を歩く。

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四日前に降りたバスターミナル。
散々見たヒマラヤが、今日も、また別の表情でポカラの町を見守っている。

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行きと同じバスを探す。

行きに間違った同じ会社の高級バスを横目に、その後ろにあったショボくて私たちにぴったりなバスの入口で待機した。

まだ、バスのドアは開かない。

時間が早過ぎたかな。

しかし、待てどくらせど、そのドアは開かない。

高級バスの方は、既に乗客が乗り降りしていたので、そっちで、ショボいバスのチケットを見せながら出発について聞いてみた。

すると、またもや、私たちを高級バスに乗るように促した。

だからー、私たちが買ったチケットは、この高級バスのチケットではなく、後ろのショボいバスのチケットなんだってばー。

それを言っても、スタッフは聞き入れず、バスに無理やり詰め込まれた。

で、案内された座席は、運転手の隣。

いやいや、それは冗談ですよね?

と、何度もツッコミを入れるが、どうやら本気らしい。

落ち着いて聞き入れると、乗務員の彼は、こう言っていた。

後ろのショボいバスは、乗客人数が運行定員に満たないため、全員をこの高級バスに詰め込み、カトマンズに向かうと。

なるほど、で、ショボい私たちは、普通の席ではなく、この運転席の隣なのね。

しょうがなく、その席に座る。

その席は、個室のようになっていて、普通の座席エリアとの間に透明の壁とドアがある。
運転手さんの部屋といった感じで、一畳くらいの広さだ。
詰めて座れば、5人は座れるスペースがある。

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私たちと同じように、ショボい乗客として運転席の隣に案内されたのは、私と夫以外に3人。

1人は、私たちよりは少し若いくらいのアジア系の女の子。
デイパックひとつで旅をしている正真正銘の旅人だ。

もう1人は、小学4年生くらいのネパール人の女の子。
お父さんと2人でこのバスに乗り込んだようだが、女の子だけ、普通の席から、はみ出され、ここに案内されてしまったようだ。

で、もう1人が、ネパール人のおばちゃん。
どこか、東北のおばちゃんといった感じで、大阪のおばちゃんの100倍居心地が良い。

さあ、このメンバーで、カトマンズに向かう。
3対2で、L字型のベンチに座る私たち。
足を伸ばせるような空間はない。


こんな狭い空間で、緊張し合う初対面の私たち。

よそよそしい雰囲気で、満載だ。

救いの共用語である英語を、おばちゃんも小学生も話せなそうだったため、会話もなく、バスは走り出した。


朝陽に向かって走る運転手さん。

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大型観光バスの真ん前は、もちろんスリル満点だったけれど、こんなにも景色が良かったなんて、知らなかった。

贅沢すぎる動く景色。

しばらく走っていると、太陽で、道と空気が黄金に輝き始めた。

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ちょいと狭いし、堅いシートは座り心地が悪いけれど、既に、この席を案内された自分たちは運がよいと思い始めていたし、私たちがショボい存在で良かったと心から思った。

行きは、普通の座席に座っていたため、バスの乗務員の顔すら見ていなかったし、興味もなかった。

が、この運転席の隣にいると、乗務員のことが気になって仕方ない。

バスの乗務員は、2人いた。
1人は、もちろん運転手。
このときの運転手さんは、40歳くらいのおっちゃんだった。
もう1人は、バスの入口に常にいて、運転手のサポートをする人と言ったら良いのだろうか。
17歳くらいの少年がサポートマンだった。

明らかに、日本でいうバスガイドのように、乗客にサービスする存在ではなく、運転手のパートナーという感じだ。

例えば、そのバスが、前の車を追い越そうとしたときに、サポートマンが指笛を鳴らし、『今、追い抜こうとしているから、スピードあげないでねー』といった合図を前の車に送るのが彼の仕事。

ネパールの山道は、追越し車線があるわけではない。
二台がやっとすれ違うことができる程の幅の道、脇は崖だ。

事故を起こさずに、追い越すためのサポートマンなのかもしれない。

そして、バスの運転手さんが鳴らすクラクションも、自分勝手なクラクションではなく、相手と自分を守る思いやりのクラクションだということがわかった。

反対車線から車が来ているのに、前の車を抜かそうとしている車に対して、クラクションを小刻みに沢山鳴らして、抜かす事が危険だということを知らせていたりもする。

景色が変わらない山ばかりの道がずっと続いていたため、いつの間にか私は眠っていた。

で、次に起きたときは、バスが渋滞に置かれ、みんながイライラしてクラクションを鳴らし続けている中だった。

特に何でもない道、混み合う理由なんて何もない平凡な道だ。

何でこんなに混むの?
と、しばらく、我慢していたら、いきなり、運転手が外にすごい勢いで飛び降りた。
何も持たずに。


え?え?え?

と、20秒もしたら、さっきの運転手とはまた別の男が運転席に飛び乗ってきた。


そして、何食わぬ顔で運転を始めた。

そして、ふと反対車線のバスを見ると、さっきまでの私たちの運転手が運転席にいて、同じ何食わぬ顔で運転している。

なるほど、この何でもないのに混む道は、反対から来たそれぞれのバス会社の運転手とチェンジする場所なのだ。

しかし、すごいチェンジ劇だ。
特にエンジンを止めるわけでもなく、ブレーキひとつで、運転手をチェンジし合うのだから。

運転手に、自分のテリトリーがあるのだという事も、この席に座れたからこそ知ることができた。

後ろの普通の席に座っている人たちは、運転手がチェンジしたことなんて、気がつきもせず、ガーガーと心地よさそうに眠っていた。

また、何もない道が永遠と続いた。
途中、行きと同じ休憩所で止まり、トイレ休憩があった。

トイレが終わり、席に戻ると、外で、バスのサポートマンが、馴染みのミカン売りのおばちゃんと楽しげに話しているのが見えた。

そして、運転手が、そのサポートマンの少年に、『ミカンもらってこい!』と、イタズラっぽい顔をしながらジェスチャーで伝えた。

少年は、『ミカンちょうだいなんて、この怖いおばちゃんに言えないよー!』と、また、笑いながら、ジェスチャーで運転手に返す。

そのやりとりを見ていた、私たち1畳の仲間は、クスクスと顔を見合わせながら笑い、場が和んだ。

そして、苦労して少年がもらったミカン。
なんと、私たち1畳グループにくれたのだ。

東北のおばちゃん風のネパール人が、彼から2つ受け取り、そのうちの1つを私たち夫婦にくれた。

私は、遠慮して、『隣の小学生にあげてよ!』とジェスチャーで伝えると、『私のを半分あげるから良いのよ。』と、おばちゃんもジェスチャーで返した。

私はありがたくいただくことにし、皮ごと3等分に分け、そのうちの1かけをアジアの女性にあげた。

みんなで、2つのミカンを分け合って食べたその光景、最初、乗り込んだときの緊張感からしたら、考えられない和やかさだ。

ミカンが、私たちの空気を救った。

ミカンは、種が大変多かったが、とびきり甘かった。

そして、私は、持っていたスーパーの袋を皆に無言で差し出し、ミカンのゴミを回収した。

ここでも、もちろん会話はせず、ジェスチャーで。

笑顔で見つめ合い、心を通わせた、このミカンの時間が、私はこのネパールの旅で1番の思い出だったと、帰ってきた今、思う。

カトマンズへの8時間程の道、最初は、緊張し合っていた空気だったのに、特に言葉を交わすこともなく、たった8時間の間に、信頼し合う和やかな空気に変わるのだから、人間は、なんて素晴らしいのだ。

1番緊張していた小学生の、この変化を見ていただければ、通じるだろう。

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カトマンズに着き、また、言葉もなく、私たち1畳グループは静かに解散をした。


人間、何を話すということでもなく、一緒の空間にいることって、本当に大事なことなんだなあと思った。

急に、日本のコタツが恋しくなってきた。
あの、時折、足がぶつかり合い、だけど、言葉もなく、お互いの居場所を作り合うあの感じ。

そして、ミカンを中心に微笑み合う雰囲気。


ポカラからカトマンズへの帰りのバスで、そんな日本のコタツのような空間を味わい、いよいよ、この旅も終わりに差し掛かろうとしていた。


到着したカトマンズは、既に夕方。


カトマンズ初日に会い、日本寺を紹介してくれた日本人の男性と、たまたま道端ですれ違い、『ポカラはどうだったかい?』と聞かれ、私たちは、『とても、温かい場所だったよ。また行きたい。』と返し、『じゃあ、また。』と、『また』があるかもわからないのに、惜しげもなく自然と別れた。


そして、騒がしいカトマンズの町に、私たちは、また馴染んでいった。
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# by koyama516natsuki | 2013-02-11 22:58 |

ネパールの旅⑥ 『孤独なチョウタラ』

部屋が白い光に包まれ始めた。

太陽は、なんて偉大なのだろう。

まだ、この地に出ていないのに、側にいるだけで、こんなにも世界が明るい。

元旦の初日の出は、曇っていて全然見ることができなかったけれど、今日は見えそう。

今年も、太陽には、大変お世話になると思う。

ここらで、拝んでおきましょう。

1月2日だったけれど、私たちにとっての初日の出は、日本から遠く離れたネパール、ポカラの屋上から拝むことができた。

改めて、太陽様。

今年もどうぞ、よろしくお願いします。



さて、そうもしていられない。

今日は、サランコットという山(ヒマラヤの前では丘にしか見えないが高尾山よりはもちろん高い)に登るのだ。

昨日、登った日本寺から見たヒマラヤは、このサランコットの山の奥にあった。

つまり、サランコットからは、ヒマラヤがど真ん前に見えるはずだ!

と、私たちは、今日もまた、汗を流すお正月を選んだ。

中庭で、ネパールティーを飲んで出発。


レイクサイドのメイン通りを歩き、大好きなフェア湖に出た。

フェア湖では、朝の洗濯時間。

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本人たちにとっては日常の出来事も、旅人にとっては、心癒される風景。



フェア湖の周りをぐるっと周り、サランコットへの登山口方面へ。

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登山口と言っても、そんな大それたものはない。

昨日同様、地球の歩き方には行き方の地図はない。

タクシーで行けとも書いてある。

が、夫は、相変わらずのGoogleマップ信者のため、自分で道を導き出そうとしている。

彼の開拓魂は、誰も止めることができないのだ。


ただの道を、私たちは歩き始めた。

時々、お邪魔する集落の人々に、『サランコット、カハンツェ?』と確かめながら、その度に安心させられ、また歩き出せる私たち。

でも、何mか歩くと、すぐにまた不安になる。

そんな道が永遠に続く。

この道でいいの?

看板もないし、観光客の姿もない。

夫の選ぶ道は、いつも地元の人しか使わない道なのだ。


集落で会う子どもたちは、久しぶりの異国人の話し声に、家の外に出てきて、私たちに挨拶をしてくれる。



そして、挨拶の次には『sweet』という単語をつぶやく子どもたち。

子どもたちは、甘いものが食べたいのだ。

でも、子どもたちに甘いものを容易くあげてはいけない。

この味を覚えてしまったら、日常的に与えることができるはずもないお母さんたちが困るからだ。

そうやって、日本寺で教わった。

甘いものをあげることができない私は、ペンをあげた。

『I don't have sweets. but I have a pen!』

中学生のとき、教科書に出てきた I have a pen!ってセリフ、どんなタイミングで使うんだよ!と当時、嘆いていたのを思い出した。

こんなところで使うとは。。。


学校で教えてもらえることに、無駄なものなんて一つもないんだなあ。

自分が足を踏み入れれば、使う機会は、いくらだって現れる。

狭い世界を飛び出し、チャレンジすればするだけ、学校で教わったことを役立てる機会は、この世の中にいくらでもあるのだ。

そんなことを、あれから20年近く経った異国の山奥で反省するのだから、人生面白いもんだ。



体が、明らかに疲労し始めている。

夫のペースについてゆけなくなっている自分がいた。

実は、私は、あまり、登山が得意ではない。

ずっと続く急な傾斜。

人とすれ違うこともできない細道。

片方は崖という緊張感。

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息が切れて、汗が絶え間なくでてきた。

夫が時々、振り向き、尋ねる。

『大丈夫?』

『うん。』

『水飲む?』

『うん。』

飲む水も、ただ喉を通り過ぎるだけで、決して渇きを満たしてくれるわけではない。

でも、マイナスな言葉は吐きたくなかった。

自分で選んでしていることだからだ。

飛行機の中で読んでいた澤木耕太郎の『凍』という小説に、今の自分を完全に重ね合わせていた。

壮絶なクライミング中の生きるか死ぬかの夫婦の絆。

相手の能力や器や実力を受け入れた上で、思い合いながらクライミングするその夫婦の姿は、本当に感銘を覚え、反省もした。

そして、その夫婦は、凍傷で指をなくした際も、誰のせいにもせず、『自分で選んでやったことだから。』と強い心を持っているのだ。

私が登るのは、たかが1592mの山だが、たった1人のバディである夫を困らせてはいけない。

つまらない弱音は一切吐かないことを心に誓っていた。


そんな私は、知らぬ間に、その辛さを紛らわすために歌を歌っていた。

『与 作 はぁ~ 木ぃ~ を 切るぅ~。へいへいほ~。へいへいほ~。』

何て、山登り向きの歌なのだろう。

足が前へ前へと出るテンポとリズム。

上手い具合に力の抜けるメロディー。

誰も通らない事をいいことに、ネパールの山奥で、北島三郎の与作を熱唱する夫婦。

この歌に、本当に助けられた。

サブちゃんにお礼状を書きたいくらいだ。

しかも、このフレーズしか知らなくて、永遠に与作が木を切り続けるのが、また良い。

与作のおかげで、目指す頂上が、近く感じられてきた頃、また、一つの集落に出会った。

そこで、挨拶を交わした母娘。

私たちが、『ナマステ』と手を合わせて言ったら、娘が恥ずかしがりながら、可愛く『ナマステ』とサラッと返してくれた。

そしたら、母が、その娘に『ちゃんと、手を合わせて挨拶しなさい。』と注意し、娘が手を合わせて挨拶し直してくれた。

『ナマステ』は、今となっては、おはよう、こんにちは、さようならなど、何にでも使える便利なあいさつ言葉で街中では使われているが、元々は気軽な調子のあいさつにはほど遠い、改まった重い意味を持つ言葉で、村の日常生活で頻繁に使われるものではなかったそうだ。

そんなことを、渡航前に本で読んでいたために、実は、この旅で『ナマステ』を気安く使うことを躊躇していた。

が、ネパール5日目ともなれば、『ナマステ』は、本当に便利なあいさつとして、自分の体に染み付いていた。

すれ違えば、ナマステ~である。

神聖な礼拝の微塵もない。

が、都市から離れた山奥に住むこの母娘のその躾を見て、元来の神聖な敬礼としての『ナマステ』が、まだ生き残っているのだと、立ち止まり合掌し直した。

方言や挨拶は、外部の者からすれば、お近づきの印に、と軽々しく使ってしまうものだが、方言も挨拶も、その言葉の中に、心があるかないかで伝わり方も違う。

心なく適当に使っていると、『バカにしてるのか。』と怒られることだってあると思う。

簡単で便利な言葉だからこそ、『心』の在り処を問われるのだと、この母娘と出逢い学んだ。


このトレッキングのゴールは、もちろん、サランコット頂上へ辿りつき、悠々としたヒマラヤ山脈を仰ぎ見ることだ。

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息を切らし登り切った、その頂上からのヒマラヤは、言うまでもなくどこまでも美しく、とても達成感に満たされていた。

しかし、いま、こうして振り返ると、登り切ったそのときの景色よりも、それまでの道中に出会った人々やその人々の生活、ひっそりと咲いていた花、苦しくて水を飲んだ休憩場所の方が、強く心に刻まれていることに気がついた。

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やはり、私の旅の目的は、ガイドブックに載っている観光地ではなく、ガイドブックには、決して載らない人々の生活にあるのだと感じた。



帰りの下山道で、行きに休憩した大きな木の下で、村の人たちが座り、おしゃべりをしていた。

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何て、心地よい木陰の石なんだろうと、行きに思っていたために、帰り道で、その村人がその石に座っているのを見て、ああいう心地よい石の周りには、やっぱり人が集まるんだな~と、横目で見て通り過ぎた。

その私たちが休憩した石、実は、『チョウタラ』という人工的な休憩所だということを帰って来てから知った。

ネパールの山村のあちこちに、その『チョウタラ』はある。

チョウタラは、重い荷物を下ろして、一服するのにちょうどいい高さと幅の平石が敷き詰められ、荷物をもたせかけるための段が造られている。

山奥の商店に荷を運ぶ人の中には、ときには100キロを超える重量を担いでいる人もいるため、彼らにとってチョウタラはなくてはならないものだ。

一度地面に荷を下ろしてしまったら、二度と担ぎ上げることのできない重い荷を目的地まで運ぶことができるのも、チョウタラがあればこそ。

そんな、チョウタラを造ったのは、大層な資産家でも、有能な建築家でもない。

つましい暮らしぶりのヒマラヤの山村の人たちが、道行く人が憩うだけのために、ただただ心を込めて造ったのである。

このチョウタラを造った人は、もちろん、もうこの世にはいないだろう。

そして、このチョウタラを造った者が誰だったか知る人も、もう、この村にはいない。

でも、村の人は、夕方になると自然とそこに集まり笑顔を交わし、そして、私たちみたいな観光客は、休憩所として造った石であることさえも知らないのに、自然と腰を掛ける。

チョウタラは、何も言わずに、これからもそこにあり続けるのだろう。

その石に関わった人々が死んだあとも、ずっとずっとそこに。

なんだか、その石がとても孤独に思えた。

山奥の暮らしは、孤独なものである。



帰り道、頂上付近の集落で出逢った孤独な子犬が、いつまでも私たちの後をついて来て、その子との別れは本当に辛いものだった。

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# by koyama516natsuki | 2013-02-01 00:26 |

ネパールの旅 ⑤ 『ロウソク』

ひたすら緩やかに、そして長く、山道は続いた。

たまに訪れる民家に、人の気配を感じ、淋しさが癒えた。

元旦から、汗だくである。

民家の前で、ある一人の老婆が、崖のしたの街を見下ろしていた。

その光景は、まるで、絵のようだった。

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その老婆のファッションがとてもお洒落だと思った。

深いグリーンのカーディガン。
ターコイズブルーに山吹色の柄が入ったスカート。
茶色のくつを履き、サーモンピンクとグレーの柄の布を頭に巻いている。

そして、素朴な木の杖。

決して最新ファッションでもこだわりのファッションでもなさそうだったが、その風景と行為と、何よりも彼女自身に似合っていて、見惚れてしまった。

また、ある民家に吊るしてあった植物の縄飾りも素敵だった。

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枯れた様々な葉っぱや乾燥したとうがらし、木の実などが、縄に編み込まれてぶら下がっていた。

魔除けみたいな意味があるのだろうか。

それもまた、山から切り出した石で作ったお家に、よく似合っていた。


そして、また、ある民家の庭には、一つのイスが崖に向かって、ポツンと置いてあった。

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あのイスに座って、ぼんやりと下界を見ているんだな~と想像したら、何もないこの山奥の生活も幸せそうに思えた。

美しい風景は、偶然と必然が重なって作られるものなのかもしれない。

夫が選んだルートは、観光客が通る道では、全くなかった。

日本寺までの道すがら、誰1人として観光客に会わなかったのに、寺に到着したとき、下から観光客が次から次へと登ってくるルートが見えた。

私たちが通った道は、整備されていない道だったけれど、山奥のひっそりとした生活にお邪魔させてもらえたし、素朴な方達とも挨拶が交わせたし、間違えたルートではなかったねと夫と話した。

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日本寺からは、ヒマラヤがより近く見ることができた。

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天空の城ラピュタを連想させる山小屋で、チャイを飲みながら、しばらくヒマラヤを眺めていた。

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ここで、マジマジと見ると、今まで一連として見えていた肩を組んだヒマラヤグループのメンバーが、明らかに、それぞれの個性を持った個人の集まりだということがわかった。

まず、天空を鋭く突き刺すようなマチャプチャレ(6993m)は、ポカラの象徴ともいえる。

その名前は『魚の尾』という意味で、頂上がふたまたに分かれていることからそう呼ばれている。
標高は、周りに居並ぶ、どのアンナプルナ連峰のピークより低いものの、ひとつだけ手前にあるために、ひときわ高く見える。

私は、山登りに関しては、完全なる素人である。
日本一の富士山には、大学生のときに登頂したが、それ以外は全くない。

山に囲まれた環境で育ってもいないし、自然遊びは、春夏秋冬、海だった。

だから、こんなにも山と向き合ったこともなかったので、山はどれも同じ形をしていると思っていた。

だけど、山は、7000m下から見ても、明らかに、それぞれの個性的な形を持っていた。

それが、素直に面白いと思った。

帰りは、行きとは違うもう一つのルートで下山した。

行きよりは、急ではあるが、短縮ルートだった。
山を下ると、湖に出た。

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その湖の向こう岸が、私たちの宿があるレイクサイドだ。

湖を渡るために、ボートと漕ぎ人を借りた。

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ボートから見たヒマラヤは、また一段と雄大で、一日、ボートを借りて、湖の真ん中で、ただ、ぼーっと過ごすのも贅沢な一日の過ごし方だなあと、思った。

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一度、汗を流しに、宿に帰ることにした。

宿に帰り、シャワーを出したら、昨夜とは違い、無事に熱いお湯が出た。

夫がシャワーを浴びている間、部屋のソファに座り、ふと、テーブルを見たら、こんな用紙が置いてあった。

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なにこれ。

『Load Shading time table』

聞き慣れない単語を英和辞書で調べてみると、

『Load Shading』とは『計画停電』のことだった。

ここで、私たちは、ネパールでのこれまでの暗さの意味がやっとわかったのである。

カトマンズでの宿も、部屋に照明器具は何個もあるのに、点灯するライトは一つ。
電気が通っているコンセントも一つ。

これは、自家発電していたからこそ使える電気だったのだ。

その一つの電気によって、私たちはネパールの計画停電を自覚せずに何日も過ごしてきてしまったわけだ。

そして、ネパールの電気事情が、なぜこのようなものなのか、知りたくもなった。


ネパールの電力供給量はどうやら、とてつもなく小さい。
ネパールは海に面していないため、火力発電も原子力発電も難しい。
結果として水力発電でほとんどの電力を賄っている。
当然、電力は安定しない。
一日24時間のうち、実に14時間もが停電で、こういう厳しい電力事情の中で国民は電力の自給に努力している。

庶民は最低必要な明かりはロウソクを点けることで確保している。
ちょっと電力需要量が大きいホテルなどは、太陽光発電施設を各自設置している。

確かに、カトマンズの宿の屋上に、太陽光発電のパネルがあった。

街中で、ロウソクがあちこちで灯っていたことも、たき火で体を温めていたことも、カトマンズの風景あれもこれもが電力不足から必然的に生まれた景色なんだと思うと、より愛おしく思えた。

3.11の震災以来、日本でも電力事情はとてもデリケートな問題だ。
電力について、どちらに傾いた意見をつぶやいても反感を抱く人がいそうで、軽々しく、話もできない気がする。

どちらにせよ、日本人が、電気を使いすぎなことは、大きな声で言えることだ。

私は、ロウソクを、お土産に一個買って帰った。

日本で使うと、ロウソクの灯りは、とてつもなく暗い。

でも、この旅で感じたこの気持ちを誰に強要することもなく、なんとなく、自分の心に、ゆらゆらと灯し続けたかった。

その日のポカラは、20時に停電は解除され、とても賑やかな元旦な夜だった。
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# by koyama516natsuki | 2013-01-20 17:25 |

ネパールの旅 ④ 『母』

賑やかな夜は去り、静かな朝が来た。

異国の鳥が、チュンチュンと外国語を話している。

まだ、昨夜からの停電は続いていた。

中庭に出ると、宿の人が、ネパールティーを出してくれた。

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花が咲き乱れる中庭で、朝陽に照らされながら過ごすひととき。

朝陽が、幸せの要素の一つとなり得るか否かは、人それぞれだが、私はいつだって、朝陽は前向きな気持ちを運んできてくれると信じている。

今年は、早起きがんばろ。

元旦の誓いだった。

そう、本日は元旦なり。

ということで、日本山妙法寺(ワールド ピース パコダ)という丘の上にあるお寺に、初詣に行くことにした。

カトマンズで会った日本人の旅人が、『元旦に、ネパールの地で日本寺に行くなんて、乙かもしれませんね。』と、そのお寺に行くルートを教えてくれた。

ルートは、2択。
湖を挟んで反対側にある山の上にある日本寺。
湖をボートで渡り、山側の岸にショートカットし山を登る方法か、湖を中心にグルリと町を歩き頂上を目指す方法か。

行きのルートは、後者の湖の周りの町をグルリと周る方法を選んだ。

詳しい地図はない。
地球の歩き方の地図なんて、広範囲すぎて、子どもが書く単純な迷路のようだ。

夫が、Googlemapをもとに、ルートを探す。

ここにきて、まず覚えたネパール語が、『カハンツェ?』という言葉だった。

カトマンズでは、誰もが英語を使えた。

が、山までの素朴な村は、きっと英語は通じないだろうと思ったのだ。

『カハンツェ?』とは、『どこですか?』という意味である。

町から山への入り口が、わかりにくく、曲がるタイミングで、そこに立っていた8歳くらいの現地の少年に、私たちが進もうとしている道を指差し、『ワールド ピース パコダ カハンツェ?』と話しかけると、『うん。』と頷いた。

すると、次の瞬間、『アナタノナマエハナンデスカ?』と、少年が発した。

通じないと懸念していた英語どころか、私の母国語である日本語で話しかけてくれた。

『ナツキ』と答えると、繰り返し、『ナツキ』と呼んでくれた。

反対に私が名前を尋ねると、『サダン』と答えた。

街中で、『こんにちは。』と、ネパール人に話しかけられることは多々あったが、名前を聞かれたのは、この時が初めてだった。

笑顔の時間を過ごしたあと、彼に、我らが日本大学の三色ボールペンをプレゼントした。

職場の上司が、ネパールに行くなら、是非、ボールペンを持ってゆきなさい。と、大学名入りのボールペンを持たせてくださったのだ。

ありがたく使わせていただき、その少年が、将来、日本大学に留学してくれることを夢見た。

道を教えてくれて、ありがとう。といい、ボールペンをありがとう。と言われ、私たちは、いよいよ、山を登り始めた。

もちろん、道は、舗装はされていなく、オレンジ色の乾いた砂が、余計に登りずらくした。

少しあがると、段々畑が広がる景色が広がった。

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どこか、日本の風景にも感じられる。
今頃、みんな、お節やお雑煮を食べて、日本酒でも呑んでるんだろうなあ。

と、日本のお正月を、少し恋しく思った。

しかし、この道は、本当に間違っていないのだろうか。

誰一人として、観光客とすれ違わないし、看板のひとつもない。

緩やかな傾斜が続き、汗をかいたが、トイレも必要とする瞬間が訪れた。

得意の、野ションである。

野ションとは、野道でおしっこをすることだ。

本当に誰も通らないし、大胆にやらせてもらった。

自然と遊ぶならば、野ションは覚悟しなければならない。
これは、小さい頃から、母に教わっていたことだ。

小さい頃から母に連れられ、南の島の離島のひと気も設備も当たり前にない海辺で一日を過ごすことが多かった私は、海と木の影がトイレだと教わっていた。

大人になって、そんな育て方をしてくれた母に感謝することは多い。

あと、今回、ネパールに来て、子どもたちの遊び道具が、明らかに少ないことに気がついた。

子どもが、落ちている棒で、ゴミのビニールをすくい上げ、地面に落ちないように、紙風船のごとく、棒でそのビニール袋を空に何度もあげる光景は、心に残った。

あと、タイヤのゴムのようなものを何度も結んで、小さなゴム玉を作り、何人かで足で蹴り繋げる光景も見た。

逆に、きちんとしたサッカーボールを持っていた少年が、ひとりぼっちで遊んでいたのも印象的だ。

小さい頃、母を含めキャンプなどにゆくと、遊び道具は、お家から何ひとつ持ってゆかせてもらえなかった。
何もないところで、自分たちで遊びを生み出しなさいと、自然の中で突き放された。

何もなくても、考えれば、遊びは生み出せた。
制限時間内に、どれだけ多くの植物を手に入れられるか。
や、道具を使わない鬼ごっこは、色んなルールを足して、繰り広げられた。

また、母に、フェリーで八丈島に連れて行ってもらったときは、フェリーの中で、ペンと紙だけで遊べるゲームを沢山教えてもらった。

このとき、教えてもらったペンと紙だけのゲームが、20年後の旅先で楽しい思い出に変わったときがあった。

旅先で出逢った、素敵な女性は、耳が不自由だった。
耳が不自由な人が持つ伝言ノート(お絵かき先生のように、磁石のペンで描いては、何度も消すことができるもの)で、彼女とは会話をしていた。

彼女には、耳が不自由でない幼稚園児の息子がいて、もちろん漢字は読めなかったので、この三人で、伝言ノートで会話をするのは、楽しかったが、一つの話題を共有するのには時間がかかった。

そんなとき、伝言ノートで、ふいに、フェリーの中で教わったゲームを始めてみたのだ。

音も、字もいらない、そのゲームで、三人は、同じ時間の中で楽しさを共有することができた。

今でも、彼女とはメールのやりとりをしている。

この山登りのタイミングでも、彼女から、『明けましておめでとう!』とメールが来て、彼女と出逢ったちょうど一年前を愛しく思った。

野ションと同じく、遊びを自ら生み出す方法を教わったことも、私は、この年になって母に感謝にすることの一つだ。

恥ずかしながら、母と過ごさないお正月は、生まれて今年が初めてだった。

ポカラの山から見た、どこか日本に似ているこの風景と、自分達で生み出した単純な遊びで楽しむ子どもたちが、自分の幼少期と重なり、日本から遠く離れたネパールの山里から、日本でお正月を過ごす母を恋しく想った。

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# by koyama516natsuki | 2013-01-14 20:53 |

ネパールの旅 ③ 『西暦』

太陽が、カトマンズの街の始まりを告げた頃、私たちは、カトマンズの街に、しばしの別れを告げた。

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汚い普通バスの中では、なぜか立ち席の人がいた。

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道のりは、スリルの8時間もあろうというのに。

あの人は、ずっと立っているのだろうか。

でも、男女の若いネパール人グループの一部らしく、立っているのに、座っている他の人たちと楽しそうに会話していた。

しばらくすると、座っていた女子2人が、詰めて座り、その立っている男子に『私の隣に来なよ』と言う。

2人がけのイスに3人座り、立っている人はいなくなった。

この浮かれ気分の若者たちを見ていると、今日が大晦日だということを改めて気づかされた。

若者たちは、私の知らない歌を大声で歌う。

バスは、完全に、その若者たちの浮かれペースに飲み込まれていた。

電気も雰囲気も暗い車内だったので、彼らの空気を読まない底なしの明るさに救われた。

ネパールの未来を救うのは、やっぱり彼らみたいな若者だし、
日本の未来を救うのも、きっと彼らみたいな若者だ。

ふと、日本で私が勤める大学の学生たちの顔が、思い浮かんだ。

あと三ヶ月後には、卒業し社会に出てゆく学生たち。

窓から見る景色のように、彼らにとっても、この大学時代は、ただ通り過ぎる場所に過ぎない。

それでも、その彼らの旅路の景色の一部となれたことを幸せに感じた。

バスの窓から見る流れる景色は、いつの時代だってどんなときだって、旅人に安らぎと厳しさを教えてくれる。

学生にとっても、そんな存在でありたいと想う。

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カトマンズの街を過ぎると、思ったよりもすぐに山道となった。
山道に、ガードレールなどは、もちろんなく、少しでもタイヤを外せば、数百m下の崖の下に、呆気もなく転落するだろう。

カトマンズからポカラまで、飛行機でゆけば30分。
カトマンズからポカラまで、バスで行けば8時間。

私みたいな、時間のないサラリーマン旅行者が、どうして、後者のバスの移動を選択したか。

ネパール国内の飛行機は、墜落事故が日常茶飯事といってもよいほど、よく起きていた。

時間がかかっても、安全な旅行を選んだわけだ。

が、私たちが乗っていたこのバスも、同じくらい、死と隣り合わせ、いや、死と向かい合わせということに、乗ってから気がついた。

Googleで、『ネパール バス』と入力すると、次に出てくる単語は、『事故』か『転落』のどっちかだ。

今、調べると、12日にネパールの山岳地帯で起きた事故がニュースで出てきた。

『ネパールでバス転落 30人死亡 山岳地帯を走行中』(2013/1/12 15:26)
【ニューデリー共同】ネパール西部ドティ地区で12日未明、山岳地帯を走行中のバスが道路脇にはみ出して数百メートル下に転落、地元警察当局者によると、30人が死亡、13人が負傷した。在ネパール日本大使館によると、日本人が巻き込まれたとの情報はない。事故当時、現場は霧に包まれていたとの報道がある。ネパールの山岳地帯には未舗装の道路が多く、交通事故が度々起きている。

飛行機事故が起きるような国は、バス事故も頻繁に起きるということだ。

舗装されていない山道なのに、バスは、クラクションを鳴らし、ものすごいスピードですれすれで抜かし合い、逆に抜かされたりもする。

さっきまで窓からの景色で癒されていた旅人の心は一気に緊張へと変わった。

目で見る景色が恐怖すぎるので、目をつぶる。
時々、意識が飛ぶが、バスが鳴らすクラクションや急ブレーキで、しょっちゅう起こされる。

8時間の間、休憩は3回。

山の中に、トイレと小さな食堂があるような休憩所が、ふと訪れる。

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特に、休憩時間が何分で、何時に出るという予告もなく、休憩に入る。

休憩の終わりは、いつも運転手の気分で決められ、運転手が席に戻ったときが出発のときだ。

クラクションを鳴らして、出発することをアピールする。

私たちは、その3回の休憩は、トイレと固まった体のストレッチに使うのみで、8時間の間、食べ物飲み物は一切口にしなかった。

途中で、トイレに行きたくなるのが怖かったからだ。

水も、口に入れ、口の中を濡らす程度で、地面に吐いた。

その徹底ぶりのおかげで、生理現象には、打ち勝ち、事故に遭うこともなく、無事にポカラのバスターミナルに着いた。

バスターミナルに着くと、目の前に、憧れのヒマラヤが広がっていた。

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待っていたよ。

と言わんばかりに、山々が肩を組んで、私の顔を見ている。

ポカラは、アンナプルナ連峰と湖に抱かれた楽園と呼ばている。

標高は800mほどなのでカトマンズよりずっと暖かく、真冬だというのに、亜熱帯らしい雰囲気さえ漂う。

ここから、8000m級のヒマラヤをすぐ近くに仰ぎ見るのだから、この高度差は世界でも例を見ないだろう。

ポカラの中心が、湖にあるということは、着いてすぐに感じられた。

私たちの宿も、レイクサイドという地区にある通り、観光の殆どは、湖の周りに集まっている。

そして、この町が湖を中心とした観光だけで成り立っている街だということもわかった。

ネパールでは、ビクラム歴というものを使っているため、新年は、4月13日で、今は、2069年とのこと。
そのため、カトマンズでは一切、年末らしさやお正月らしさは感じられなかった。

でも、ここポカラは、観光客のまちだ。

レイクサイドのメインストリート3㎞程は、全面、車両通行止めで歩行者天国となり、カラフルなフラッグが貼られ、『HAPPY NEW YEAR!』という特設の門が数十mおきに置かれていて、私たちは、その下をくぐる。

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ポカラは、西暦で時間が動いていた。

大音量で音楽が流れ、民族衣装を来た人たちが踊る。

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ストリートの両面には、屋台と特設のイスとテーブルが、ズラリと並ぶ。

カトマンズで出逢った日本人の旅人に、明日ポカラに行くことを伝えると、ポカラは、今、賑やかだよ。と言っていたのが、身を持ってなるほどとなった。

私たちが日本で選んできた宿は、その賑やかなメインストリートから一本入ったところにあった。

一本入ったからといって、耳から入るその賑やかさが聞こえないわけではなかったが、目で見る景色は明らかに落ち着いていた。

宿の玄関を通り抜け、中庭に出ると、カラフルな花が咲き乱れ、白いイスとテーブルが置かれた落ち着いた空間だった。

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カトマンズの忙しさと危険な山道で、固まっていた身体から、一気に力が抜けるのがわかった。

こんなにも、人の心と身体は、環境に左右されるのだ。

日本で、地球の歩き方やネットを駆使し、入念に選んだ甲斐があった。

ここも、1人一泊、たったの10ドル。
850円程だった。
ここに来て、いきなり、円安になり始めていたことが、少々悔やまれた。

宿の部屋は、カトマンズの部屋よりは明るかったように思う。
窓からの自然光がありがたかった。

すぐに、宿の屋上へあがった。

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夕方の太陽を浴びたヒマラヤが、渋かった。

とりあえず、プチラマダン(断食)をしていた私たちは、それを解くために何か食べにゆくことにした。

メインストリートで、適当な店を見つけ、ビールで乾杯!

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約20時間ぶりの水分は、一瞬で体に染み込んでいった。
じわ~と音がしていた気がする。

すきっ腹に、飲んだビールが、効いた。

ほろ酔いで歩き、少しひらけた広場が目の前にある湖の畔に出た。

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今年最後の太陽が、山に沈もうとしていた。

そこは、まるで、私の大好きな竹富島の西桟橋のような雰囲気で。

ピンク色の湖と向かい合う人々の時間は、それぞれの時間で過ぎていた。

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湖から見た夕陽に照らされたヒマラヤも、本当に芸術的だった。

雪が積もっているところほど、ピンク色で、積もっていないところは、暗いオレンジ色に染まっていた。

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刻々と変化する湖を見て、私たちは静かな時間を過ごしていた。

来てよかった。

ネパール旅が始まって3日目も終わろうとしているこのとき、心から、私はそう感じていた。

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きっと、隣にいる夫も、そう感じているだろうと隣を見ると、湖とは反対を向き、広場で、牛と犬が戯れている風景に夢中だった。

夕陽に照らされていたヒマラヤが、目に見えなくなったということが、完全に、この街から、今年の太陽がいなくなったことを教えてくれた。

私たちは、今日の私の家である宿へ帰った。

レディファーストで、私がシャワーを先に浴び終わったところで、電気がバチンと消え、シャワーは水しか出なくなった。

停電だ。
ネパールが停電の国というのは、地球の歩き方に書いてあったので予備知識はあったが、ここまで、何の予告もなく暗闇に置かれると少し戸惑った。

カトマンズの宿が暗かったのは、停電のせいだったのではないかと、今になって、気がつく。
部屋の電気3つのうち、1つしかつかなかったから、暗かったのだ。
その1つの電気は、自家発電をしていたがためについた1つだったのではないか。

大晦日に、夫は、結局、シャワーを浴びることができず、今年の汚れを落とせずに、ベッドに入った。

日本が年明けを迎えたころ、ネパールは、年明けまであと3時間もあった。

緊張のバス移動で疲れた私たちは、ネパールの年明けを待てずに、眠りについた。

と、完全に熟睡態勢に入っていたとき、ものすごい爆音が町に鳴り響いた。

ドドドーン!

パチバチパチ・・・・・


え??????

飛び起きた。

時計を見ると、0:00。

年が明けたことを祝う花火が、上がっていたのだ。

こんな爆音が鳴っているのに、体も起こさずに目も開けない夫に、新年の挨拶をし、私は、また眠りについた。

明けましておめでとう。
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# by koyama516natsuki | 2013-01-14 16:14 |

ネパールの旅 ② 『正真正銘のただの親切』

暗闇はまだ解けない。

朝5:15に起き、日本から持ってきたヘッドライトを使いながら、荷物をまとめ、私たちは宿をチェックアウトした。

真っ暗闇の街だが、月明かりで人の影が近づいたり遠ざかるのがわかる。

時々、自転車がすれ違う。
日本で、この暗さの中、自転車を走らせる人がいるならば、新聞配達員だろうけれど、すれ違う自転車は、新聞など載っていない。
何のために自転車を走らせているのだろうか。

所々、家の前で焚き火をしている人たちがいる。
電気ストーブは、カトマンズの庶民たちは持っていない。

だから、夜から朝にかけての冷えは、焚き火でカバーする。

まだ、始まっていない暗いカトマンズの今朝に、焚き火のパチパチッという木片を燃やす音が鳴り響く。

こんなにも暗闇の街なのに、歩くことに恐怖がない。

昨日のたった一日、カトマンズを歩き回っただけだったが、危ない街ではないことを充分、肌で感じていた。

もちろん、構えの気持ち、20パーセントは忘れてはいない。
私たちは、暗闇の中でさえ、どこからどう見ても、異国人だったからだ。

でも、インドやタイの暗闇と比べると、その暗闇は、本当に安全に感じた。

何よりも、野良犬の気質が、それを1番表しているといえよう。

町の中、5mおきにいるのではないかと思うほど、カトマンズのまちでは、野良犬が一緒に生活している。

もちろん、最初は、インドの時のように、かなり警戒し、避けて通った。

狂犬病の犬に噛まれて、病気にでもなったら、命を落とす可能性があるからだ。

実際、バラナシの犬の目は、どっちを向いているかわからなかったし、突然狂ったように、隣にいた犬に噛みつき、甲高い声を出す光景を何度も見た。

が、カトマンズの犬は、それ程ではなかった。

身体は汚れているが、直感的にかわいいと思える安全さを、カトマンズの犬たちは持っていた。

温かな冬の陽射しにウトウトとしている犬や、1人機嫌よく、食べ物を探している犬。人間に危害を与える雰囲気が全くなく、ただ、穏やかに時間が過ぎるのを待っている犬ばかりだった。

だから、こんな、まだ闇も明けぬ暗い町中でも、何も怖がらずに歩けたのである。

ポカラへのバスが出る道路は、タメル地区を抜けた大きな交差点のそばにあり、私たちの宿から歩いて20分程だった。

バスが出る場所は、昨日、地元の小さなツアー会社でバスチケットを手配したあと、下見に行っていた。暗闇の中だと、きっとわからないだろうからと。バス停のマークなどは一切なかったが、この辺だろうという目星はつけた。


暗闇の中でも、そこは、すぐにわかった。

なんと、ポカラに行く各バスが、10台以上、縦列駐車して、乗客と夜明けを待っていたのだ。

昨日の下見はいらなかったと後悔した。
むしろ、あの中から自分たちが乗るバスを探し出す方が困難だった。

と、歩いていると、『どこのバスに乗るんだい?』とネパール人が話しかけてきた。

『BLUE SKY』と伝えると、ついて来いというジェスチャー。

こういうときは、大体、自分の契約するバス会社のバスに乗り込ませ、繋ぎ代をバス会社からもらおうとする作戦だ。

まあ、時間もあるし、ついて行く。
『これだよ。』と案内してくれたバスのボディには、確かに『BLUE SKY』と書いてあった。

正真正銘のただの親切だった。
素直に、最初からありがたい気持ちで彼に寄りかかることができなかったことを申し訳なくも思った。

ありがとう。とお礼を言い、バスに乗り込むと、そこは、私たちが想像したよりも遥かにクリーンで明るい車内だった。

え?これで、片道550ルピー(日本円で550円ほど)?
旅行者がよく使うデラックスバスではなく、私たちは普通バスを選んだ。
何事も経験である。
と、何よりも値段に惹かれた。
カトマンズからポカラまで、8時間は、舗装されていない道を走るというのに、たったの550円である。

なのに、こんなクリーンである!
しかも、明るい!

カトマンズに来て以来の明るさを、いま、この550円のバスで味わっている。

夫と私は、このバスの移動をかなり苦痛に考えていたので、ついつい『これなら、余裕じゃん』と顔を見合わせる。

席に着くなり、酔い止めのアネロンを飲む。

車内がクリーンなのと、車酔いは、また別の問題にあるからだ。

トイレが異常に近い夫は、トイレのついていないバスだと分かると余計に、もよおすらしく、トイレに行ってくるという。

しばらく帰ってこないのをみると、トイレが近くにないんだなあと察した。

そして、しばらくして帰ってきた彼は、一言。

『史上最悪のトイレを味わった』と。

彼が大抵の汚さを、耐えられることを私は知っていたので、この発言にはビックリした。

もし、内容を聞いたら、トイレ恐怖症になりそうだったので、『まじか。。。おつかれ』とだけ言って、その汚さの内容は聞かなかった。

帰国し、彼が、また思い出し、『あのときのトイレは、本当に史上最悪だった。』と内容を少し話し出そうとしたら、彼自身が、思い出しただけで、おえっと吐きそうになり、涙目になってた。

本当に汚かったんだろうよ。

クリーンな明るいバスで、他の乗客を待っていると、一組みの夫婦が乗ってきた。

座席番号の見方を教え、夫婦が席につくと、バスの乗務員らしき人が、予約表を持って、近づいてきた。

最初にその夫婦が、持っていたチケットを渡すと、係員は、『このバスではない』と、その夫婦たちを違うバスに案内した。

次に、私たちが彼にチケットを渡すと、私たちは、ここでいいと言う。

そりゃそうだ、地元の人に案内してもらっているのだから、間違いがあるはずがない。

と、また一安心し、ふと、返されたチケットを眺めていると、国籍のところが『korean』と書かれている。

うわ!私たちのチケットじゃない!

あの、さっきの乗務員が私たちのチケットを偽のチケットとすり替えたんだ!

夫が、急いで、さっきの乗務員を外に探しに行く。

待たされた私は、落ち着いて、ああ、騙されたな。と思った。
予約表らしきバインダーを持っていたから、信じて素直に、チケットを彼に渡したが、実は、偽の乗務員で、正規のチケットを盗む悪人だったのだ。

正真正銘のただの親切を受けたばかりだったので、気が緩んでいた。

あんな紙切れでも、ポカラへの切符を失った私は、『さあ、カトマンズで今日は何して過ごそう』と考えた。

すると、さっきの夫婦が顔色を変え、バスに乗り込んできた。

一度座った座席らへんを、見ている。

『チケット、落ちてませんでしたか?』と聞かれる。

!!!!!

このとき、バスチケット詐欺のトリックの謎が解けた。

私たちが受け取ったバスチケットは、この夫婦のものだったんだ!

この夫婦の国籍を、そのとき、私たちは知った。

乗務員が返したチケットが入れ替わってしまっていたことを話し、私たちから韓国籍バスチケットが、夫婦に戻った。

そして、超おっちょこちょいな、偽物ではなかった乗務員から私たちは、japaneseと書かれた私たちのバスチケットを返してもらった。

あたしが、この乗務員の先輩だったら、水の入ったバケツを両手に持たせて廊下に一時間は立たせる!

最悪なミスだ!

何の反省もなく、普段通りの乗務員。
怒りさえ湧き出てこない。

すると、また別の乗務員が私たちのチケットを見にきた。

だーかーらー、もう何度見せたら気が済むのだよ!

乗務員は言った。

『あなたたちのバスは後ろのバスです。』と。

うそーーー!!

乗務員についてゆき、後ろのバスのボディを見たら、そこにも書いてあった『BLUE SKY』。

やはり、格安の普通車550ルピーのバスが、あんなにクリーンで明るいわけがなかった。

私たちは、デラックスバスの方に乗り込んでいたのだ。

案内されたバスは、つい30分程前まで想像していた通りのポカラ行きの普通バスだった。

暗い車内に、汚いシートと、それなりの乗客。そして、さっきの韓国籍の夫婦も車内にいた。

テンションが、明らかに下がった私たち。

最初に、クリーンなバスまで案内してくれた正真正銘のただの親切ネパール人を、ちょっと恨んだ。

まあ、待ち時間だけでも、あんなクリーンな場所に座って待てたのだから、ラッキーだと思おう。

何よりも、バスチケット詐欺にも遭わず、無事に予定通り、私はポカラへ向かうことができるのだから。

バスは、夜明けのカトマンズを30分遅れで出発した。

まだ、今日が始まって2時間弱だというのに、既に、ものすごいエネルギーを消費していた。
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# by koyama516natsuki | 2013-01-14 11:49 |

ネパールの旅 ① 『うろこ雲』

カトマンズの朝では、何処も彼処もお香を炊きたぐっていた。

ネパール人の朝は、自分の家の前や店先を短めのホウキで掃いたあと、入口のサッシのところに、長めのお香を三本ずつくらい挿して、玄関先を清めることから始める。

これを小さい店や家ごとにやっているので、街がお香で煙たくなるのは当たり前だ。

インドのバラナシの排泄物の香りの街と比べたら、いい匂いだ、我慢しよう。

清めるといえば、玄関によっては、黄色い花びらとヒンドゥー教の人が額につける赤い顔料が、サラッと盛って置いてあって、燃やしたカスも残っているのだが、これは、何だろう。

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あと、宿を出て、ストリートをこの足で歩き始め、すぐに感じたことは、道が汚くないということだった。

汚くないというのは、整備されているということではなく、割とクリーンであるということだ。

朝は、みんな自分の家の前を掃き掃除し、どこの職員かわからないが、公道を掃除している人もいる。

道を掃除してるのが牛ではなく、人なのである。
ゴミの行き先が、牛の胃の中ではなく、ポリバケツなのである。

インドと隣の国なのに、そこは随分と違うなあと感じた。

日本での朝も、軒先を掃いたりして、近所の人と朝の挨拶を交わしたりする光景がよく見受けられるので、この感覚は、ネパール人と日本人の共通点だと思った。

ただし、この環境は、お昼も過ぎる頃には変わる。
道は、あっという間に、ゴミで溢れかえる。
お化粧をした美しい女子もYシャツを着た紳士も、道にゴミを捨てるのが当たり前の文化のようだった。

慣れない私は、目の前でゴミを捨てられる度に、『道は、ゴミ箱ではない!』と、ついついお説教オバさんになりそうなのを抑えるのに必死だった。

私が泊まった場所は、カトマンズのタメル地区といって、タイで言えば、カオサン通りのような雰囲気の世界中からバックパッカーが集まるような場所だ。

旅行者にとって、必要なものは何でも手に入る。

朝ごはんに選んだ場所は、『ちくさ茶房』といって本格的なコーヒーが飲める喫茶店である。

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『Tired of Nescafe?』
インスタントにうんざりしてないか?

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と看板に掲げ、インスタントコーヒーが多いネパールの中で、この店ではネパール産のコーヒー豆を使ってドリップしてくれる数少ない本格コーヒーが飲める。

『ちくさ』と 平仮名で書かれているから日本人ばかりの喫茶店かと思いきや、地元のネパール人も朝のコーヒーと新聞タイムを過ごしに来ている。

電気は一切ついてなく、朝の光だけの暗い店内や使いこんでいる木のテーブルとカウンターもとても気に入った。

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コーヒーとトーストで、合計100ルピー(100円くらい)程である。

結局、カトマンズにいるときは、毎朝、この喫茶店に朝のひとときを過ごしにきた。

ネパール初日は、スワヤンブナートという、ネパール最古の仏教寺院に行くことにした。

旅が始まる最初から決めていたわけではない。

朝陽と共にカトマンズの街を宿の屋上から見下ろしていたとき、少し離れた緑に包まれた丘の頂上に、白いストゥーパが見えた。

気になったところで、地球の歩き方の地図の方角と合わせたら、その寺院であることがわかり、カトマンズの街を見守っているオーラが感じられたので、訪れてみたくなった。

タメル地区から徒歩で30~40分。

旅行者向けのタメルの街から、点々とした生活の風景が見られる町並みを歩く。

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途中で越えたヴィシュヌマティ川は、ゴミで溢れ、川岸には、今日食べることも大変そうな人々が、生活しているのが橋から見えた。

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河辺に布を広げ、ただただ今日が終わるまで横になっている人もいた。

タメル地区では、そういう人たちがほとんどいなかった。
旅行者向けの地区だからだろうか。
みんな、旅行者にどんなに小さな物や行為でも売ろうと必死に働いている。

地区から一歩出ると、働かないで、お金をもらおうと手のひらを差し出したり、器の前でただひたすら膝をつく人が、ちらほらと見られる。

売っている物や事はないけれど、これも一種の職業なのだ。
と、クールに考えることにした。

ある広場には、ロープが張られ、大量の洗濯が干されていた。

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洗濯機が普及していなく、タライで洗濯をする文化を考えると、ここは、クリーニング屋?

割腹のよい女性が、身体全体を使って、洗濯をしていた。

地図でみると、ここは、洗濯広場というらしい。

近所の人々が、ここで洗濯をする。
特別な洗濯機があるわけでもなく、ただ井戸のような水場があるだけだ。

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日本では、もうほとんど見られない水路での女たちのコミュニティが、そこにはあった。

寺院に行って帰っての、およそ三時間ほどの時間だったと思うが、

行きに見たときにロープに干されていた洗濯物と帰りに見たときに干されていた洗濯物が全く違うものだったのを考えると、乾季のカトマンズは、相当乾燥地帯ということが見受けられる。

絶好の洗濯国家と言えるだろう。埃を除けばだが。

いよいよ、生活のエリアを通り過ぎ、森を抜けると参道の急な石段が目の前にそびえ立つ。

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ギリギリの二十代である私でも、汗だくの息切れ状態である。

なのに、小さな子どもから、杖をついたお年寄りまで、みんな、一歩ずつ、寺院を目指し急な階段をのぼる。

私は見ることができなかったが、五体倒地しながら、参道を上るチベット人も少なくないという。

インドとチベットの狭間に位置しているネパールには、ヒンドゥー教と仏教が見事な調和で混在しており、ヒンドゥー教が8割で仏教が2割と言われていることを考えると、2006年まで世界で唯一ヒンドゥー教を国教としていたことがなるほど!となる。

いずれにしても、ネパールの人々の日常生活は宗教と深く結び付いている。

宗教のことをネパール語で『ダルマ』というが、状況に応じて、宗教、善行、徳、本性、規範、真理、正しい教えと、さまざまなニュアンスでもちいられる。

だから、『あなたのダルマは何ですか?』と尋ねられて、特定の教団や宗派に所属していないからといって、『ダルマはありません。』と答えると、『私は人でなしです。』と言っているようなものだという。

日々の生活が篤い信仰心なしには考えられないこの国では、いたるところで祈りの風景が見られる。

町を歩けばたくさんの寺院や仏塔に出くわし、また道ばたにある小さな石が神さまだったりもする。

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私が、朝に民家の玄関先で見た、黄色い花びらと赤い顔料も、それぞれの礼拝だったのかもしれない。


いよいよ、頂上だという20段ほど前に入場料を支払う小屋があり、ツーリストは止められる。

地球の歩き方によると、1人100ルピーと書かれているのに、女性係員は無表情で200ルピーだという。
反論したが、看板を見なさいと言われ、確かにツーリストは、200ルピーと書いてあるので、静かに従うことにした。

ここは、寺院だ。

どうやら、私が持ってた地球の歩き方は、ネパール行きを試み始めた三年前発行のものだったため、書かれているものとは、入場料を含め、街の物価が変わっていることに気がついた。

相場がわからない中での、地球の歩き方に書かれた数少ない物の値段は、とても頼りにしていたので、それが頼れないとなると、物を買うときに慎重にならないとな。と身が引き締まった。

と共に、値段なんてあるようでないような世界だし問題ないなとも思った。

でも、その女性係員が指す看板によれば、国民も何ルピーかを払わなければいけないはずなのに、ネパール人は皆、チケット売り場を素通りである。

ここは、寺院だよね?

平等とか正当という言葉は、ネパールの辞書にはないようだ。

乾いた青空に、そびえ立つ白いストゥーパは、本当に美しかった。

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ストゥーパの先から、張られた、タルチョというチベットの旗が、また、青空と白いストゥーパの壁によく映えること!

ネパールでは、そこらじゅうに、そのタルチョが張られていた。

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タルチョの構成は五色から成り、五色の順番は青・白・赤・緑・黄と決まっている。

青は水、白は天、赤は火、緑は風、黄色は地を表したチベットの祈祷旗である。

そして、この寺院は、またの名をモンキーテンプルと呼ばれるほど、野生のお猿さんで溢れかえっている。

人間がバッグから取り出した食べ物や、露店で買ったばかりの食べ物を、ものすごい素早さと図々しさで横取りに来る。

人間と猿の食べ物戦だけを見ていても、時間が過ぎる場所だ。

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さて、カトマンズの街を見下ろす。

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高いビルや大きな商業施設がほとんどないカトマンズの街は、茶色く平たく細々と、それぞれの生活がひしめき合っているのが見える。

ふと、空を見上げれば、どこまでも青い空にうろこ雲が広がっている。

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うろこ雲の空。

見下ろした、無数に広がるカトマンズの街並みとそれを作る、それぞれの小さな生活を空が映し出しているようにも見える。

いつの時代だって、人々の想いや願いや思想は、もともと小さなもので、それぞれの心にあり、それぞれのものだったのだと思う。

無数に広がるうろこ雲が、そのそれぞれの想いにも重なり、自分で選ぶ生活も、考え方も、信じるものも、ダルマは人それぞれのもの。と、カトマンズの空が教えてくれている気がした。

ここは、宗教施設だというのにね。


チベットの文化に少し触れることができたその日の夜は、チベット料理を食べに行くことにした。

モモという、餃子の皮の中に少しスパイシーな具が入った料理がとても美味しく、味付けはどれも優しくて、私の口に合った。

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ネパールで、最初に飲んだビールは、正しく、『エベレスト』というビールで、瓶のラベルからして、ヒマラヤへの想いが一層湧いてくるビールだった。

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明日は、暗いうちに朝早く宿を出て、ヒマラヤに近づけるポカラという町をバスで目指す。

相変わらず、暗い私たちの宿。

階段を上った踊り場に、ついつい立ち止まり見つめ合いたくなる一枚の額があった。

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なぜだか、その前を通るときは、いつもいつも、立ち止まってしまう。

例えば、それも、私のダルマなのかもしれない。

昨日寝不足だったために、その日は、すぐに眠りにつけた。

今夜も、カトマンズの犬のそれぞれの小さな想いが街中に反響し続けていた。

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# by koyama516natsuki | 2013-01-13 15:41 |

ネパールの旅 序章 『暗闇との出逢い』

真っ黒な夜の空と海の上を、月と共に遊泳していたキャセイパシフィック航空CX6746便は、私たちを乗せて、ネパール・トリブバン国際空港へ降りるための最終準備に入っていた。

夜22:30。

土を忘れ、空にいたもの達にとって、街は、いつも、突然現れる。

カトマンズの夜の地、

東京の空から見るような、煌びやかさは一切ない。白い光線が一切ないと言ったらよいだろうか。

オレンジ色の小さな灯りが、まばらに平たく灯るノスタルジックなカトマンズの夜景。

その懐旧的な趣きに、思わず、涙腺が緩んだ。

トリブバン国際空港は、周囲を高い山に囲まれているために離着陸が難しい空港だと言われている。

1992年には、トリブバン空港への着陸失敗による墜落事故が続けて2件発生した(タイ国際航空・死者113名とパキスタン国際航空・死者167名)。

飛行機の中で読んでいた小説に、『私は好きな事をしていて、指を20本無くしたのだから、後悔はしていない。』というハードクライマーのセリフがあって、もしここで飛行機が落ちて死んだとしたら、私も小説の彼女のように『好きな旅をしていたのだから後悔はしていない。』と言えるだろうかと考え続けた。

私には、そんな覚悟はない。
そんな覚悟で旅をしていない。

そんな覚悟もないのに、ネパールの地に降りられない!だから、日本に引き返してください!と、いつものトラベルブルーに陥った。マリッジブルーのように、旅の前は、いつもブルーな世界に包まれる。

本当に、この世界に足を踏み入れていいの?
このタイミングで来て良かったの?
不運の塊ばかり待っているのではないだろうか。
私の進む道は真っ暗なのではなかろうか。

そんな、ブルーな気持ちでいっぱいになるような刺激的なトリブバン空港に、飛行機は、とてつもなく静かに降り立った。

私にとって、飛行機からその国へ降りる階段は、バージンロードのようなもの。
だから、旅のバージンロードを降りたときから、もう迷いはない。
不安は一気に消え去った。

赤色のレンガで構成された、近代さの欠片もないトリブバン国際空港。

空港内にある土産物屋は、日本でいうキオスク程度の大きさのものが二、三個あるくらいで、飛行機を降り立ち、入国審査のカウンターまで、乗客の散らばりようがないために、入国審査カウンターは大混雑。
通過するまで一時間以上は待たされたのではなかろうか。

普段は、新しい国の空気や雰囲気にワクワクして、イミグレでは、キョロキョロ、あっという間に自分の番が来るはずなのに、入国審査待ちが退屈で、小説を読んでいたのは今回が初めてだ。

入国審査を通過すれば、外へ出る出口はたったの一つしかなく、その出口に、迎えに来た現地の人たちがぎっしり並び、ギラギラじろじろと、降りて来た新参者を見る。

その人たちは皆、汚れた画用紙にマジックで書かれた宿の名前や待ち人の名前を、私たちに突き出してくる。

その光景、築地の競りやオークション会場、または、アムステルダムの飾り窓を連想させる光景である。

空港特有のウキウキワクワクとした待ち人を待つ雰囲気は全くなく、待ち人が皆、殺気立っているように見えた。

真っ暗闇の外と、空港の暗い照明がそういう雰囲気を醸し出していたのかもしれない。

私は、その人たちの前を堂々と歩き、自分の宿が書かれた画用紙を探し出した。

1番端っこにいた控えめな小さなネパール人が、私の迎えだった。

宿に、空港まで迎えに来てもらったのはこの旅が初めてだ。

地球の歩き方に掲載されているレベルのカトマンズの宿(私が選んだ宿は、1人11ドルで決して高くない)は、大体が迎え付きだった。
それだけ、カトマンズの安宿戦争は過激ともいえよう。

空港から町へ出るのに手こずるのが、どの国に着いても、旅の最初のハードルだが、今回は、不戦勝。

宿のワゴンに乗るとき、迎え人が、『ロストバッケージしたか?』と、心配してくれた。
『いいや、私の荷物は、もともと、これだけよ。』と言ったら、私の荷物の少なさにとても驚いていた小さなネパール人に、和まされながら、私たちは、いよいよ、カトマンズの町へ。

ここが、首都ですか?と疑う真っ暗闇のまち。

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空港を出発し、10分もしないうちに舗装されていない道になり、私たちは、上下左右と激しく体を揺すられる。


ついつい、無言に。


すると迎え人が、『ネパールの道は、とってもワイルドだろー?』と、空気を和ませようとする。

はは、、、そ、そうだね。。。

オレンジ色の灯りが所々灯る茶色のまちの中を絶叫系のごとく不安定に走るワゴンったら、ディズニーランドのアトラクションの世界に入り込んだ気分だった。

無事にホテルに到着したのは、日付けも変わった零時過ぎ。

やたらと暗い宿。
一応、電気は点いているようだが、この暗さといったら、持ってきたヘッドライトを部屋の中で使う程。

なんてったって、部屋に置いてあったストーブが1番の灯りを放っていたほどなのだから。

そう、この時の私たちは、まだ、この暗さの意味が全然わかっていなかった。

暗闇との出逢い。

目をつぶっても、つぶらなくても、暗い部屋の中、カトマンズの夜に就寝。

町中で、犬の鳴き声が反響し、なかなか寝付けなかった初日の夜。
どこででも眠れることが唯一の私の特技なのに、あの夜はおかしかったなあ。

窓の外が白くなり始め、宿の屋上に上がると、朝陽がキランと地に出たところだった。

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朝陽に導かれ、街を見下ろすと、そこには、朝陽に照らされた赤茶色のカトマンズの町並みが広がっていた。

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私たちは、ネパールに来たのだ。

ネパールの地への興味は、2年半程前に遡る。

従兄弟が実際に住んでいたという話をきき、世界中を旅した彼が、その中でその場所に留まり続けたいと思わせたネパールの地を、どうしても、一目見たかった。

そんなとき、ブルータスが毎年特集している『旅にいきたい』の中で載っていた写真に、私は心を鷲掴みにされた。

ヒマラヤに月が上る写真だった。

雑誌で見た風景に感動して、それを見にゆくための行動を起こすなんて、なんて単純で、なんて幸せなことだろうか。

本当は、夏休みに、行こうと二年連続で試みたが、縁がなく叶わなかった。

でも、今考えると、ヒマラヤは雨季ではなく乾季だ!

日本人が行くなら、夏休みではなく冬休みだ!

来るべき環境にして、私はいま、ここ、カトマンズの朝にいる。

寝不足の身体を、大きく伸ばして、何事にも替えることのできない尊い朝の光と爽やかな風に当たりながら、雑誌の写真から実現したこの旅の始まりを、身体中で受け止めた。

とりあえず、breakfast!

カトマンズの朝へ、私たちは勢いよく飛び出した。



・・・・・・  ■番外編  ◎今回の旅の持ち物備忘録

*デイパックに詰めたもの

・ヒートテック上5枚
・ヒートテック下5枚
・Tシャツ2枚
・半ズボン1着
・靴下5足
・下着5セット
・ダウン
・マイクロタオル
・手ぬぐい3枚
・洗面道具一式
・ヨガマット
・寝袋型シルクシーツ
・蚊取り線香
・スーパーの袋3枚
・充電器
・変圧器とプラグ
・洗剤とロープと洗濯バサミ
・折りたたみ傘


*サイクリングバッグに詰めたもの

・メガネケース
・ヘッドライト
・地球の歩き方
・日記ノート
・ペン10本(出会った子どもたちにあげる用)
・小説(沢木耕太郎著『凍』)
・消毒シート
・薬
(アネロン、正露丸、ストッパ、抗生物質、バンドエイド、漢方胃腸薬、ロキソニン、総合風邪薬)
・ホッカイロ
・マスク
・お金5万円とクレジットカード
・パスポート
・ジップロック3枚
・iPhone
・デジカメGR
・wifi
・生理用品


*着ていた服
・UNIQLOのヒートテック上下
・グラミチのモコモコの半ズボン
・パタゴニアのフリース
・パタゴニアのレインブレーカー
・ニットの靴下とレッグウォーマー
・ニットの帽子
・手袋
・布
・ウェットスーツ生地のスニーカー
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# by koyama516natsuki | 2013-01-12 18:49 |